平成20年度
熟年大学
一般教養科目
公開講座
全10回シリーズです。
公開講座は毎月第三木曜日にSAYAKA小ホールで開催されます。
開講月日 | 講師 | テ ー マ | |
第1回 20年5月15日 |
山折 哲雄 氏 1931年生まれ 岩手県出身 東北大学インド哲学科卒業 同大学院博士課程修了 哲学者・宗教学者 国際日本文化研究センター名誉教授 |
日本人のこころ 西行、芭蕉、良寛の生き方。俗と聖の世界を行ったり来たりした人。出衆の道と和歌・俳諧の道を手放さなかった人に学ぶ。 講演要旨へ |
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第2回 6月19日 |
久 隆浩 氏 大阪大学大学院博士課程修了 (財)21世紀ひょうご創造協会主任研究員 大阪大学工学部助手 近畿大学理工学部環境工学科教授 工学博士 |
市民によるまちづくり 各地で進められる市民主体のまちづくり。これは単なるブームではなく、21世紀の社会に求められる必要不可欠な仕組みです。都市計画・政策の変遷をたどりながら、なぜ今市民主体のまちづくりなのか考えてみましょう。 講演要旨へ |
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第3回 7月17日 |
大阪船員保険病院神経科部長 大阪大学大学院医学系研究科専任講師 大阪大学医学部付属病院神経科精神科病棟医長 大阪府立大学総合リハビリテーション学部教授 |
〜脳科学と哲学の接点〜 私たちは、自分の決断と行動が自らの自由意志に委ねられていることを信じて疑いません。しかし、現代の脳科学はそうした自由な主体の存在に大きな疑問を投げかけています。脳科学と自我論の接点を探ってみましょう。 講演要旨へ |
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第4回 9月18日 |
上村 洋行 氏 同志社大学法学部卒業 昭和42年産経新聞社入社 平成8年大阪本社編集局次長 司馬遼太郎記念財団設立 平成13年司馬遼太郎記念館館長 |
「司馬遼太郎」の残したもの 司馬遼太郎のことを漠然と思っていたら、我々はこのままでいいのだろうか、と考えてしまいました。日本人はこれからどう生きていけばいいのか「坂の上の雲」映像化の経緯などエピソードをまじえて、一人の作家が残したメッセージをお伝えしようと思う。。 講演要旨へ |
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第5回 10月16日 |
山本 敏晴 氏 1965年仙台市生れ 医師・写真家 200年ごろから数々の国際協力団体に所属し、アフリカや中東で医療援助などを実施 2004年、NPO法人宇宙船地球号を創設し、同団体の事務局長 |
宇宙船地球号という挑戦 〜持続可能な世界を作ってゆくために〜 500枚以上の写真によるスライドショウを通じ、その映像の中に講師が入り込み臨場感をもって世界各地の現状を解説。各地で起こっている様々な問題と日本との関係を説明し、あなたが世界に対してできることを紹介する 講演要旨へ |
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第6回 11月20日 |
1948年生まれ 東京大学中退 1992年緑の地球ネットワーク設立に参加 1994年から事務局長 国家友誼奨(中国政府) 大同市栄誉市民など受賞 |
黄色い大地を緑に 〜中国植林活動の現場から〜 緑の地球ネットワークが緑化協力をつづける山西省大同市は砂漠化と水不足が深刻である。厳しい条件の下でも、双方の協力で少しずつ成果が上がってきた。その中での経験を率直にお話ししたい。 講演要旨へ |
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第7回 12月18日 |
徳川 日本郵船兜寰ミ長 (財)徳川記念財団理事長 世界自然保護基金ジャパン会長 徳川宗家第18代当主 |
いま、江戸時代に学ぶ 江戸260年の平和のうちに作られた日本独特の高度な文化社会を、西欧の文化、現代の日本の在り方と比較し、将来のあるべき姿を考えます。 講演要旨へ |
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第8回 21年1月15日 |
吉武 信二 氏 筑波大学大学院修士課程修了 大阪女子大学講師 米国カリフォルニア大学リバーサイド校客員研究員 大阪府立大学 総合教育研究機構講師 |
一人でできるトレーニング 〜寝込まないための効果的な ダイエットとトレーニング〜 生涯自立した健康生活を実現するためには、積極的な身体の自己管理が重要です。ここでは身近な日常である食事・運動・生活習慣を総合的に自己評価する方法を紹介し、望ましい身体組成の獲得から寝込まない生活をめざします。 講演要旨へ |
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第9回 2月19日 |
冷泉 貴実子 氏 京都女子大学大学院修士課程修了(日本史専攻) 財団法人冷泉家時雨亭文庫常務理事 同事務局長 |
800年の文庫を今に伝える 平安時代から鎌倉時代にかけての歌人、藤原俊成・定家を祖とする冷泉家の歴史と、その伝えて来た文化を解説すると共に、何故現在まで伝えることが出来たのか、その理由を考えてみる。 |
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第10回 3月19日 |
福山 琢磨 氏 叶V風書房代表取締役 叶V聞印刷取締役会長 淀屋研究会 副代表 |
なぜ、今淀屋なのか 〜淀屋の時代の大阪とその後〜 400年前、焦土の大坂を再興し、「天下の台所」にしたのは淀屋でした。 巨大化した淀屋は100年後、幕府にとりつぶされました。 この淀屋の前後を通じて大坂をふり返り、大阪の未来を考えたいと思います。 講演要旨へ |