平成20年度
熟年大学

第2回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成20年6月19日

 
市民によるまちづくり


近畿大学工学部
社会環境工学部教授
久 隆浩 氏

                  講演要旨

各地で進められる市民主体のまちづくり。これは単なるブームでなく、21世紀の社会に求められる必要不可欠な仕組みです。都市計画・政策の変遷をたどりながら、なぜ今市民主体のまちづくりなのか考えてみよう。

1.時代に対応した都市計画のかたち

 なぜ、今、住民主体のまちづくりか。それは今、日曜日のテレビでやっている大河ドラマ「篤姫」の時代、日本が江戸から明治に変わって以来百数十年ぶりに、社会の基本的なパラダイムが大きく転換する時期にさしかかっているからである。従ってまちづくりの仕組みや、私がもともとやってきた都市計画の仕組みが変わってきたのである。

 
それではその都市が、人類5000年の歴史の中で、時代によってどのように変わってきたのか簡単に振り返っておきたい。

 (時代)   (為政者や時代の特徴)                (都市の形態)
 古代  王の時代    王の権威         神殿都市
 中世  群雄割拠    不安定な時代      城壁都市、寺内町
 近世  絶対主義    中央集権的な国家   国家の権力を体現するバロック都市計画
 近代  制度の時代  制度による秩序形成  法制度に基づく近代都市計画

 このようにそれぞれの時代は、それぞれの社会に合わせて都市をつくってきたことがわかる。ということから言うと、これからのポスト近代社会がどういう社会になるだろうかと考えることによって、どういうまちが相応しいのかが解ってくる。


2.21世紀の都市計画・まちづくり

 
歴史を流しながら社会の変化とまちづくりをみてきたが、では21世紀にはどういうまちづくりが求められているのか。実は制度の時代である20世紀までの時代が、そろそろ限界にきている。結論からいうと、これからはコミュニケーションの時代ではないかと思っている。

 いま社会では無差別殺人など、いろいろなまずいことが日常茶飯事のように起きているが、個別の問題を対応していては間に合わないところまで来ている。それは、近代という時代を、その仕組みをそろそろ変えていかなければならない。

 なぜ、制度の時代が限界に来ているのか。当たり前のことだが、制度はみんなが守ってこそ成り立つ。人を殺してはいけないという法律があるが、一人でも守らない人がいると世の中が無茶苦茶になっていく。そういう意味で法律は脆いものだ。法律は私たちの心の中にあって、私たちがそれを守ろうという気持ちがなくなっていけば、法律は役に立たない。私たちも含め法律を守らない人が段々増えているという現状がある。

 ではどうしたらいいか。法律を厳しくしよう話もあるが、それだけで解決できるのか。世の中が平穏な時は制度に守ってもらえばいいが、震災など緊急時には制度は役に立たない。そこで制度や役所に頼らなくても私たち近所で支え合うことが出来るのでは、とある時気付くのである。それをもう一歩発展させて、制度が立ち行かなくなると、当てになるのは近所の支え合いになる。近所の支え合いは、言い換えればコミュニティ、コミュニケーションに他ならない。だからコミュニケーションによる新たな社会秩序の形成が必要で、
コミュニケーション時代へがこれからの流れではないか。

 ただし、難しいのは、制度を守らない人が増えている一方で、コミュニケーションの力を持っている人も減っていること。ここでもうひと踏ん張りしなければと、私はコミュニケーションの力をもう一度取り戻そうということで頑張っている。

 さて、都市計画の分野ではどんなことがいわれているのか、佐藤滋(早稲田大学)先生の説を引用して、これまでとこれからの新しい都市計画のあり方について、わかりやすく要約すると次のとおりである。

 だれがつくるか/(計画)エリートの一部専門家 ⇒ 市民自ら
            (事業)行政が権力と資力を使って ⇒ 市民が主体的に
 どのようにつくるか/事前確定的なマスタープランを実現する
                 ⇒ 個々の事業・活動の積み重ねで徐々に変えていく

 そのために大事なことは、
Planner が絵を描くのではなく、仕組みや仕掛けを考え、市民自らが計画し実行することを支援する(advocacy planner)であるべきだと考えている。


3.公共の福祉とは

 
都市計画を進めていくといろいろなトラブルが発生する。その時に都市計画法が大切にしているのが、公共の福祉(公共性)という観点である。

 憲法29条で財産権が認められているが、公共の福祉に反しない限りという断り書きがある。公共の福祉と個人の財産権の間のどこに線引きをするかが問題になるが、日本の土地利用の法体系では、個人の財産権に重きを置いて、だれがみても公共性があると認められる必要最小限の規制に抑えられている。従って例えば法をクリアしているということだけで、開発を主張する側にも問題があるといえる。

 都市計画法の中に「地区計画制度」というのがあって、この制度にかけると、いろいろな規制をかけることが出来る。ただ、地区のすべての人の合意が必要になる。地域のみんなで話し合って合意に達したから、そこに公共性が生まれるのである。

 この考え方を最近、
熟議の民主政(deliberative democracy)と呼んでいる。みんなで話し合って答をだそうよということだ。逆にいえばみんなで話し合う前に、公共性の高い答はないということだ。地区計画やきょうのテーマであるまちづくりでも、行政に全面的に任せるのではなく、地域のことはみんなで話し合って、みんなで決めて、みんなで頑張っていこうという考え方が21世紀型の考え方であり、それを支えるのが熟議の民主政である。
話し合う前に答はない。話し合って答はつくり出すものだ。つくったらみんなで守っていく。


4.新たな公への転換

 もう一つ世の中が変わった話が、新たな公である。これまで行政が専ら担ってきた「公」から、市民も含めた多様な主体が担う「公」への転換である。その先鞭を切ったのは福祉の分野である。福祉の分野では、2000年に公的介護保険制度が導入されたことで、行政の仕事の内容がガラッと変わった。行政が自らサービスを提供することはせず、民間事業者やNPOや市民グループが福祉のサービスを担っている。

 これを利用者からみると、措置から選択に変わった。いろいろなメニューから選択できる。これは非常にいいことだ。行政の役割は、利用者が適切な選択が出来るための情報の提供と相談業務、適切なサービスが提供できているかチェックする事業評価と調整の作業となった。


 
私の大学でも自己点検・評価や外部評価が進行している。学部の中は先生同士が評価しあう。更には大学同士でも評価しあう。そのことによって社会的にちゃんとした教育が出来るようにしていこうということだ。お上がとやかく言うのではなく、お互いが自分の力でよくしていこう。その仕組みや仕掛けをつくろうというのが21世紀型の世の中である。

 きょうのこの場もも同じことで、自分の力で自分の生活をよくしていこう、そのために生涯学んでいこうというのが生涯学習の仕組みなのである。人に言われてやる時代ではなく、自分の力で、自分たちの力でよくしていこうということが教育の質もそうだし、まちの質でもそうなってきていることを理解してほしい。


5.推進から支援へ

 そういうことを一言でいえば、推進から支援へということになる。
「支援とは、何らかの意図を持った他者の行為に対する働きかけであり、その意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことを言い、最終的に他者のエンパワーメントをはかることである」 
(今田高俊「支援型の社会システムへ」『支援学』)

 
支援では相手の意図を理解することが大切で、そのためにはまず相手の話を聞くことが大事である。これからの世の中で、話し上手の人と聞き上手の人とどちらが大切かというと、聞き上手の人である。自分がやりたいこと(want)を押し付けるのではなく、周りが、社会がやってほしいこと(need)を探していくのが、これから市民活動を繋いでいくためのひとつのポイントだと思う。


6.ネットワーク組織のあり方

 そういうつながりをつくっていく、言い換えればネットワークというが、なかなかそういう社会のしくみになってきていない。ネットワーク組織というのはどういう組織なのか。

               (従来型組織)             (21世紀型組織)
             
人間型            クラゲ型
         ツリー型/ピラミッド型 ⇒    ネットワーク型
            上意下達      ⇒   水平の情報交換
          命令・服従関係    ⇒ 自発的連結によるネットワーク

 一番目の
「人間型からクラゲ型」については
解説が必要だろう。人間には脳がある。この脳が指示をすることによって、私たちの身体を動かしている。いわゆる命令を出す中枢神経が人間には備わっている。ところがクラゲには不思議なことに脳がない。脳のないないクラゲがどうやって動いているのか?少しわかり易くいえば、細胞同士が常に情報交換しながら動いているのである。手間がかかり時間がかかり、非効率かも知れないが、実はこれがネットワーク型である。

 
このネットワークを形成するのに必要なのが、情報交換したり呼びかけたり、話し合い相談する場、プラットホームが大切になってくる。ここがこれからの世の中のポイントの一つである。

 この効果的な創造的対話が実現する
「場」実現することが大事で、異なった価値観を持った人間が、「場」を通じた相互作用で対立を乗り越えていく知の創造過程を生み出すための「よい場」の条件は、次のとおりである。

①お互いに自由や規律を尊重し、相互理解が可能である主体性を持った人々が参画してい  る
②外部につねに開かれており、違いを受け入れることができる場となっている
③多様な背景や視点を持つ人々が話し合い、対立を乗り越えてお互いに理解しあうことがで きるより深い部分で文脈を共有できていることが必要
④時間・空間だけではなく自己をも超越できる  
(野中郁次郎:「場」の理論)


7.リーダーからファシリテーターへ

 最後に、これからの世の中に必要な素養についてお話したい。Facilitateとは促すとか促進するという意味で、ファシリテーターとは簡単に言うと、こう着状態になった話し合いをちょっとお手伝いをするとまた、話が前へ進んでいく。または活動が行き詰って停滞している時に、ちょっとアドバイスをすることでまた活動が進んでいく。そのちょっとしたお手伝いをする人をファシリテーターという。なかなか適切な日本語の訳がないのだが、私は「まちづくりの鍼灸師」だと思っている。

 東洋医学では血や気の流れが滞ると病気になるという。鍼灸師はツボを刺激することで、血や気の流れを円滑にすることで病気を治す
。このツボを押す役目がファシリテーターである。もうひとつ一緒だと思うのは、東洋医学では先生は病気を治しません。患者が自分の治癒力で病気を治すのをお手伝いをするだけ。ファシリテーターも同様である。

 従来、まちづくりや地域活動を進めるために、いいリーダーが必要だと言われてきた。リーダーが必要な時は、時間がないとき、短期的に効果を求める場合であるが、リーダーが代わったりいなくなった時に、活動が停滞するおそれがある。ところがファシリテーターという人たちはみんなを元気にしていくので、時間をかけていいときには長続きすることになる。


8.おわりに

 最後にザックリ整理をさせてもらう。
 
21世紀の社会、何が変わっていくのかというと、一言でいうとネットワーク型で、みんなでまちをつくっていく、みんなで組織を動かしていく、誰かが命令をするのではなくて、みんなが一人ひとり積極的に動いていって活動を繰り返していく、そしてまちをつくっていく・・・という時代に変わってくるということを、一貫していろんな場面でお話したと思う。

 
そのためにはということでは二つお話をしたと思う。一つは集まって話し合う「場」が必要であること、そして最後にそれをそれをお手伝いをする人(引っ張っていく人ではない)が必要であるということ、この2点を今日はお持ち帰りいただけたらと思う


 少し難しい話を敢えてしたが、私たちの周りで起こっている変化は、とても大きな時代や社会の転換期の中で起こっている身近な変化だ・・・ということを理解いただいたら、いろいろな観点で深く考えることができると思う。この動きは止められないと思う。まだまだうねりとしては小さいかも知れないが、やがて大きくなっていくと私は思っている。
  
その時、私はどういう役割をして地域の中で暮していけばいいのか、或いは組織を担っていけばいいのか・・・ということを考えながら、日頃のもっとわかり易い活動に活かしていただければと思っている。


                     ≪講師未見承≫



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