第4回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成29年9月21日
和の精神と世界遺産
法隆寺 第129世住職
大野 玄妙 氏
講演要旨 |
||||
法隆寺は約1400年前に聖徳太子によって建立されたと言われています。 聖徳太子の「和」の精神―「和を以って貴しとす」―を数々のエピソードを交えながらお話します |
||||
【はじめに】 今から1400年あまり前、遠い飛鳥の時代に聖徳太子は摂政となられ、日本の国の全ての人が平等で平和で安穏な生活を享受できる理想の社会の実現をめざし実践されました、その精神は「十七条憲法」(第一条)の和の精神の実践であり、和の社会を構築することでした。 あまなう、やすらぎ、なごむ、平和な社会をめざした太子の理想を学び、その方法を皆さんと共に考え今後の活路を見出し実生活の中で生かせれば幸いです。 昨今の社会は明るい話題が少なく、毎日のように暗いニュースが多く、われわれの心は悩まされ、休む間もなく心が揺り動かされているのが実情でしょう。 世界中で起こっている紛争、テロ、災害、飢餓、流行病、人口や人権問題、拉致等々、国内においても家庭内暴力、虐待、いじめ、少子化、自殺など各地で暗いニュースが発生しています。 これらは心の平和を失い、精神の歯車が狂っているのかと思われ、まずは信頼の回復が必要です。 このようなことに太子はどのように考えておられたのか、今日は皆様と共に考えていきたいと思います。 【十七条憲法の教え】 十七条憲法(第九条)に「九に曰く信は是れ義の本なり。事毎に信有るべし。(以下略)」とあり、信頼関係の重要性を示しています。 義は道理にかなった正しい道で、信は人の言葉と心の一致したまことであり、義は信によって成り立つと述べられています。 大抵の事柄はお互いが信じ合っていればうまくいきます。信頼がなければ何事もうまくいきません。 太子は世間虚仮と言っておられ、太子の理想は全ての人が平等な平和社会の実現を目指すことでした。 十七条憲法(第一条)に「一に曰く和を以て貴しと為す。忤(さからう)こと無きを宗とせよ。(以下略)」とあります。 様々な価値観を持った人々に平等で平和な真実を求める以上、多様な人々をまとめる多くの問題を克服することを避けては通れません。 仲良く和合強調することの大切さ、そして、みんな仲良く親しみよく話し合えば自然と事柄と道理が通い合い、理解できて何事も成就するでしょうと述べています。 しかしただやみくもに和合協調することを勧められているのでなく、一定の正しい基準に照らしてコントロールすることが必要で、皆がともに目標とすることができるある一定の法則、共通の価値を見出す必要があります。 それには全ての人々に平等な絶対の真実によらなければなりません。近年の主義主張、イデオロギーの対立、民族間の不信からくるナショナリズムによる紛争、宗教と宗教の価値観の相違からくる多くの問題は、それぞれの掲げる目標や価値観の求めることが異なっていることに大きな問題があるというべきでしょう。 (第二条)に「二に曰く篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり。即ち四生のよりどころ(以下略)」とあります。 つまり全ての生きとし活きるもの「四生」(胎生、卵生、湿生、化生)のよりどころは三宝にあるということです。 時間と空間を超越して三宝を尊び、三宝に従うことを強く求めています。 三宝によらないのであれば何によって間違いを修正できるのか、仏法以外に世の中のゆがみを修正し間違いを正すものはないと述べられています。 6〜7世紀の周辺諸国の情勢を見てみますと中国大陸では隋が起こり、強大になって仏教により国の制度や文化を高め、また人の心のよりどころとしての役割も大きかったのであります。 朝鮮半島では三国が仏教を国の柱とし、競って大きな寺々を建立し、文化的にも発展し仏教が果たしている役割も大きかった。 さらに西域、インドまでの諸国の情勢を見ると全て仏法によって世の中が正されていることを朝鮮半島からの渡来人や渡来僧を通じて太子はよく承知されていました。 これらの全ての国々が仏法を信仰している状況を踏まえて、万国のおおむねなりと言われており、時間空間を越えて恒久的に秩序を守り、全ての国々の協調の規範になりうると考えられたものと思います。 そして仏法以外に己を正すものはないとの強い信念から、皆のための共有すべき価値、絶対の真実を仏教に求められたものと信じます。 以前にもまして太子のお考えが飛躍的に進歩されたのは、三宝興隆の詔を受け推古3年高句麗から渡来した太子の師慧慈に導かれてからのことです。 太子が師と共に推古4年、伊予道後温泉に旅をした時のことが伊予湯岡碑文に残されており、日月の光は一部の人たちだけを照らすことはなく、政治が正しければ、温泉の効用と同じように万民に平等に恩恵が行きわたると記されています。 当時は大変な不平等社会であり太子の業績の一つである推古11年「階位十二階」推古12年「十七条憲法」を定めたのも仏法を広め、人々の間の信頼関係を築こうとしたためでした。 十七条憲法の九条、一条、二条は互いに大きく関連しあっており、和合とは嘘偽りがなく信じ合い、社会が正常に機能することで和が保たれ、そのため平等が実現され、仏法が共有される共通の価値となります。 また「勝鬘経義疏」には善を行う本は帰依することが始まりであり、仏に帰依することで全ての人が仏になれる、つまり菩薩の道の第一歩はまず仏を信じ帰依することから始まると説かれています。 第十条には「十に曰く、忿(心の怒り)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄てて人の違うことを怒ざれ。人皆心有り。(以下略)」これは全ての人が平和に暮らすには、怒りの心を捨て大多数の意見に従うよう求めています。 本来的に原因があり縁を結び、結び付いて結果を生み出す。善行を縁として成り立っています。 太子の教えを説いた「維摩経義疏」に「悪を離れ善を修するには必ず三宝を以て本と為す。」とありますが、三宝とは悟りを開かれたお釈迦様を佛とし、その教えを法とし、法を実践する人々を僧(仏道実践者)とします。それぞれに宝という字を当てて佛宝、法宝、僧宝を三宝と言います。 三宝は釈迦が入滅すると肝心の佛が存在しないため大変な問題が発生しました。さまざまな考え方が生じ、仏塔や仏像を仏法、経典を法宝、実践する人々や教団を僧宝とする住持の三宝という考え方も生まれました。 太子は実際に目に見える形での寺塔を建立し、経典を納め、経を講じ、僧を招くといった住持の三宝の展開も是とされ、この世の浄土、平和社会の実現として重要と考えられていました。 また「四節願文」には太子が病気の際、推古天皇に望みを問われて答えられその前文に、「国家のために塔や寺院を建立し、住持の三宝がひろがればそのほかに何の望みもありません。」 三宝を盛んにし利益をこうむり、国土が安らかになり人々が平和に暮らせる社会の実現が私の願いであると言われたのです。 【法隆寺と世界遺産】 1993年に法隆寺が日本で初めての世界文化遺産に登録されています。 ユネスコの目的は「教育・科学・文化を通じて各国民の間の理解を深め、人類の平和に寄与することとし、太子の考え方と共通するものがあります。 文化遺産にとっての脅威は戦争や紛争であり、ユネスコの願いはそれぞれの国、地域で遺産の重要性に目覚め、これらの遺産を守り維持することであり、皆で守るという意識を高め、心の平和を保ち、遺産が広まることで世界中に平和が広がるということです。 建てられた寺院は社会に平和をもたらし、平等な秩序正しい良い影響を及ぼすものでなければなりません。寺はそこで行われる行事、信仰など全て宗教文化遺産として次の世代に引き継ぐ責務を持っています。 太子の生きていた時代は大変な時代で、十七条憲法は役人を戒めるために作られましたが、これは当時も賄賂などをむさぼる役人が横行していたことを示しています。 「法連華経」や「法華経義疏」には一心に精進して和を保つのに逆行する、放逸に陥らないことや善をおこなうことを勧めています。 601年斑鳩の宮を造営され、605年に太子の一族が移り住まわれておよそ20年を過ごされています。 寺院を建立し点を面に広げ平和の理想郷実現のモデル地域にするという考え方でした。 このハードのみならず、太子はソフトの面でも十七条憲法、冠位十二階の制定や法華経義疏・勝鬘経・維摩経やなどの三経義疏を著わし理論を率先実行されました。 太子の理論を実践した例として、613年片岡山で飢えて倒れた旅人を憐れんで、食を与え、自分の衣をかけて詠んだ歌や龍田山で行き倒れた旅人を憐れんで読まれた歌に、太子の人々に対する優しさや慈しみの気持ちが表現されています。 そして「日本書紀」にある、太子が薨去された時の様子には、日月の光を失ったような人々の悲しみと、日ごろからの太子に対する親しみ、そして全ての老若男女の悲嘆の気持ちが1400年経ってもまだ伝わってくるようです。 太子は平和社会の実現のため努力を傾けられ、全ての人々が和合協調する目標を仏への帰依と定められましたが、全ての人々が導かれる道筋を示すためにも、太子にとって仏法の研鑚は重要な課題でした。 斑鳩に移られてからの太子はこの課題を着々とすすめられ、人々の幸福を求め平等に救済されるという、菩薩の道を歩むことに着目され実行されようとしたのであります。 そして一人の優しい人間としての太子から、より心の広い慈悲深い菩薩としての太子に成長されたのでしょう。 当時の太子に関係する二つの主要道路である太子道の沿線には太子薨去後もたくさんの寺院が建立され、伝承も多く残され、斑鳩に移って以降、やがて面に広がって一大文化圏が形成され、太子の実践された様子がうかがえます。 太子が研鑽をつまれた「法華経義疏」の(安楽行品)には、菩薩の道について説かれ、そこには当時の官吏に対する教えが記されています。 他を正そうと思うならまず己を正しなさい。 自分を律してこそ初めて人を正すことができると説かれています。 そしてこれを行うには四つの行、すなわち体、口、心(身・口意)によって行う三つの善行と慈悲によって行う行為があると教えています。 己を正すのは三つの行、他人を正すのは慈悲を本とすると教えています。 また、第五条には役人の怠慢を戒め、むさぼりを捨て公正な訴訟を行うよう求めています。 当時は収賄が日常のことで、財力のあるものの訴えは通りやすく貧しい民は途方にくれていると役人の怠慢を戒めています。 【二十一世紀への箴言】 太子の教えは人をして善人に育て、己の心を養い、人々に菩薩として歩む道を示しています。 人々へのいたわりの気持やみんなの利益を考え、その心を保ち続け人が人を信じ合える、そういう人々の痛みを分かち合える社会は太子の理想社会であります。 太子の残された数々の業績や事績、寺院、遺跡、そして生まれた多くの伝説など物心両面全てが平和社会実現のための菩薩太子の光であり、今の私たちへのメッセージです。 太子にとって和とはみんな仲良く、心が安らかで、全ての人々が平和を享受し実感するものでなければなりません。 これこそ太子の理想とする菩薩の住むこの世の浄土であります。 この理想に近づけるためには、独りよがりでない真の平和の実現を目指す努力を続けることが肝要です。 私たちはこの努力を一佛浄土の縁を結ぶと言っています。 理想を実現するための善行は徳を積む行為で、徳とは本来的に社会に対しよい影響を与えるもので、理想に向け心を養うと同時に理想を実現していく能力が身に備わります。 つまり徳を積むということは、慈悲の心を養い育てることにほかなりません。皆共々にあらゆる機会をより良い縁にする努力が必要です。 このような太子の願いを受け、真の平和の精神を見つめなおし、21世紀をみんなが平和を感じ共存できる時代とすべく努力し続けなければなりません。 そして人類だけでなく、あらゆる生きとし生けるものの全てと仲良く、共に生きていくことによって、初めて平和社会実現の道が開けるものと信じます。 これを単なるスローガンに終わらせず、みんなの努力で実現に向けて共々に社会の浄化を行い、21世紀こそ世界に真の平和を実現し、嘘偽りの多いこの社会を菩薩の住む仏国土にしたいという太子の願いはまさしく、世間虚仮、唯佛是真、として表わされています。 太子の和の精神によることこそ社会を浄化し平和を実現する方法であると思います。 そして地球全体の全てにやさしい時代とすべく、善行と積徳の生活の中でみんなで手を取り合って真の世界平和を目指すことが必要でしょう。 昨今の社会の状況は正に混迷の中自浄能力を失い、悪影響がさらに広がり、手の付けようのない状況という気がします。 このようなときこそ今太子に立ちかえり、太子に学ぶべきでしょう。 それによって人類の今後に活路が開け、社会に光明を見出し、明るい21世紀の展望ができると信じます。 皆様には太子の理想と精神をご理解いただき、体、口、心の善行を積み、慈悲の心を以てまず身の回りから世界中を平和な世界にするため、ともども精進することを念願する次第です |
平成29年9月 講演の舞台活花
活花は季節に合わせて舞台を飾っています。
平成24年3月までの「講演舞台活花写真画廊」のブログはこちらからご覧ください。
講演舞台写真画廊展へ