第8回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成28年1月21日
日本の農業
〜その過去・現在・未来〜
和歌山大学 名誉教授
橋本 卓爾 氏
講演要旨 食料自給率39%、農家平均年齢66,5歳、耕作放棄率40万ha。いま、日本の農業は本当に厳しい現状にあります。 日本の農業、そして食料や農村はどうなるのか?日本の農業の足跡を踏まえつつ、その現在と未来について考えてみましょう。 |
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はじめに 本日は多数のご参加を頂き有難うございます。司会者の方から若干お話しがありましたように、今日本の農業は大変な状況で、深刻な事態となっています。そして、大きな転換点を迎えております。それだけに、1人でも多くの方に今の日本の農業の現状を知って頂き、そして今後どうしたらよいのか、どうあるべきかについて考えて頂く事が大切な時期になっています。 仕事柄あちこちで話しをする機会がありますが、農業の話しとなると通常はあまり参加者が多くないのですが、今日は沢山の方がお見えになっており、嬉しい限りです。熟年いきいき事業実行委員会の方に感謝申し上げます。 さて、本日の話は「日本の農業」−その過去。現在。未来−という大きなテーマを掲げています。後で、”しまった”と思いましたが後のまつりです。と申しますのも、今回のテーマは大学の1回90分の講義ですと大体15回分のボリュウムになります。今日はこれを90分でお話をしますので、言い残しとか、説明不足など多々あると思いますが、ご容赦下さい。 また、日本の農業というのは、非常に広くて、深い問題でありましていろんな角度から話す事ができますが、本日の私の話は社会経済的の側面からお話をしたく思っています。 1.日本の農業の過去−これまでの歩み− 日本の農業は、さかのぼれば縄文時代から行われていましたが、今日はそんな古い過去の話は大変な事になりますので、100年程度前にさかのぼって話を進めたいと思っています。 @最初に皆さんに「おしん」の話をしたいと思います、このドラマは1983年から4年かけてNHKの朝ドラで放送されて大ヒットした事は良くご存じと思いますが、その時出てくるのが小作農の話で当時の苦しい農家の状況がよく描写されていました。 そこで、何を話したいかと言うと、当時の小作農の貧しさ、厳しい生活であります。当時の地主小作制の問題であります。その核心は高額の現物小作料です。例えば、米の場合その収量の5割を現物で地主へ納めるという過酷な小作料でした。これが根源になって当時大きな社会的問題となっていました。このように、農地を持たない農民の貧しさ、苦しさが「おしん」の背景にあったわけです。 これが1945年から50年にかけて行われた「農地改革」によってやっと解体されて、基本的に働く農民が農地を持つようになりました。この結果、600万戸近くの自作農が生まれました。いわゆる戦後自作農体制がスタートしました。戦後農業の船出であります。 A次に、戦後間もない時期に忘れてはならないのは、食料、住宅・仕事がない、特に食べ物がなかったことです。まさに、ないないづくしの状況のことです。1945年から47年は、大変な食料難の時代であったそうです。当時政府からの食料配給は700〜1000Kcal程度で、これでは生きていけません。そこで、大阪では主婦達が1945年暮れに風呂敷をもって政府の食料配給所に押し掛ける「米よこせ」運動が起こっています。1946年5月19日には25万人による食料メーデーも行われています。いかに、食料が不足していたかが分かります。大変な時代です。 当時政府は、農家から米などの食料を供出させるため占領軍の車で取りたてに行き、強引に供出させました。いわゆるジープ供出です。 皆さん、現在はお蔭様で食料は表向き豊かです。ですから、食料難のこんな時代があったことを知らない人が大勢おられますので、是非食糧難の酷さを伝えて頂きたいのです。そして、そうした中で農家も頑張ったことを伝えて頂きたいのです。農家の人達は、自分達の食べるのも乏しい中、米、いも、野菜等を一生懸命頑張って供出したのです。一方、市民の人も食糧の買い出しに必死で、衣類などと食べ物を交換する「たけのこ生活」を強いられた時代でもありました。 その当時に「お百姓さんご苦労さん」という歌がNHKの「農村に送る夕べ」のテーマソングとして流されました。参考にその歌詞を披露しますと、「蓑着て、笠着て、鍬持って、お百姓さんご苦労さん、今年も豊年万作でお米が沢山取れる様、朝から晩までお働き」です。お働きと、「お」がついています。敬語が使われておりました。ついでに、2番をも紹介しますと「蓑着て、笠着て、鍬持って、お百姓さんご苦労さん、お米も、お芋、大根も、日本国中あまる程、芽を出せ実れと、お働き」という歌詩です。当時の状況がよく反映しています。 もう一つ当時のことで忘れてはならないのは、海外からの650万人の復員兵、引揚者の受け皿になったのが農村であり、農業だったことです。都市では受け入れられなかったのです。戦後の復旧、復興の過程で農村、農業の果たした役割は非常に大きいものがありました。 以上今から70年前、一つは「農地改革」によって自作農体制が出来上がり、あの「おしん」の苦しみが無くなりました。もう一つは、かってない食料難の時代があったことを忘れてはなりません。そして、なんとか食いつないでいき、復旧、復興していった背景には、農業の頑張りがあり、農村の強さがあったことも記憶にとどめておく必要があると思います。 Bそして時が経ち、皆さんがカラオケで良く歌う曲、「別れの一本杉」「りんご村から」「僕はないちっち」「ああ上野駅」ともうひとつ「お月さんこんばんは」が流行った1955年から60年半ばとなります。「もはや戦後ではない」というキャッチフレーズが使われたのが、昭和31年(1956年)の「経済白書」であります。日本が大きく変わり始める時代であります。 この時期、工業や都市が急速に復活する中、若者を中心に農村から都市へ多くの人が流出しました。そこで親子、恋人など多くの別れがありました。日本人は別れが大好きですね。そういう背景の中で先に紹介したような歌が流行り、歌われたのであります。 しかも、若者だけでなく壮年層もどんどん農業、農村から出ていきました。当時、どれくらいの人が移動したかといいますと、多い時は1年間で約85万人です。人口の大移動です。その結果、農村の過疎化が進み、「三ちゃん農業」・兼業化が進んでいく時期であります。 さらに、高度経済成長時代へと進んで行くわけです。参考までに1960〜64年の成長率は12.1%、65年〜70年は11.9%と今では考えられない数字です。欧州の諸国に追いつけ、そして追い抜けという掛け声とともに驚異的な経済成長が進みました。この過程で、日本の農業もまた大きく変化していきました。 C1950年代後半から始まる高度経済成長の中、農工間の格差が広がっていきました。例えば1960年の農家の1人当りの所得と工場労働者の賃金を比較すると農業所得は工場で働く人の半分程度です。あるいは、テレビや冷蔵庫などの耐久消費財でも大きな差がありました。これを何とかしなければならない、格差を無くす必要があると言う事で1961年にわが国最初の「農業基本法」が制定されました。その最大の目的は、「農業でメシが食える農家(自立経営)の育成」でした。 そのため、農業の構造改善、生産性の向上等を進めて農業の規模拡大を図っていくことが農業政策の柱に据えられました。もう一つの大きな柱が農業生産の選択的拡大、つまり今後需要が伸びる農産物の生産を拡大していくことでした。逆に、需要が減少するもの、あるいは後で言いますがアメリカなどからの輸入と重なるものは捨てて行こうという政策がとられました。 さらに、この時期から農産物の輸入自由化の問題が出てきます。アメリカからの貿易自由化圧力の中で農産物の輸入自由化が進められ、輸入制限品目の解除が行われました。米国からの大量に輸入される小麦、大豆、トウモロコシなどは国内での生産を縮小し、もっと輸入する政策がとられました。それ以来ずっと農産物自由化の問題がつきまとってきますが、その発端が1960年代の始めの農産物輸入自由化の問題であります。その代表格が、大豆です、当時日本の大豆は4割位自給していましたが、今や自給率は数%です。 D次の話は「都市農業」です。皆さん「宅地並み課税」をご存知ですか。大阪狭山市もこの宅地並み課税の対象地区です。 1970年前後から農地でありながら宅地並みの課税が課せられるというおかしな事が起こってきました。そして、1973年から3大都市圏の181市において課税が始められました。当時は、東京や大阪などの大都市を中心に急激に都市化が進み、いわゆる都市問題が深刻化しました。なかでも、地価の高騰と住宅難が深刻でした。政府は、この問題を解決するためには宅地の供給を増やす必要がある、そのためには都市地域の農地を宅地にどんどんと転換する必要があるといって農地の宅地転換を推進しました。その政策の切り札として、宅地並み課税が登場したわけです。 都市の市街化区域内にある農地に対し農地でありながら宅地と同じなような評価をして税金をかけるのですからたまったものでありません。都市の農家はとうてい農業から得られる所得では税金が納められません。農地を売るしかないわけです。「金の茄子」でも作らない限り払えない、農家の間でこんなブラックジョークもささやかれました。都市農業に悲壮感がただよっていました。また、一部の評論家などが、都市から農地をなくしたらサラリーマンは立派な家に住めるなどと無責任なことを言っていました。農家の人達は肩身のせまい思いで生活をしていました。 その頃私は、農家の相続税の調査をした事がありました。当時都市の地価がどんどん上がった時期でした。調査の結果、農家は相続税を平均6000万円納めていました。当然現金で納められないので農地の1/3を売って、やっと納めていたことが分かりました。この調査報告書は国会でも資料として使われ、1975年に農家は20年間農業を継続するなら相続税の納付を猶予・免除するという制度が作られました。 このように、大阪のような都市地域には農業・農地は要らない、都市から農業を追い出せという都市農業の受難の時代があったことも忘れてはならない事実です。 Eそして、時は移り1980年代半ばへと進みます。この時期、日本の自動車、家電製品等の工業が進展し、工業製品を大量に輸出するようになりました。特に米国向けの輸出が増え、日米間で貿易の不均衡が発生しました。そこで、1985年に先進5ヶ国の蔵相などがニューヨークのプラザホテルに集まって日本に「貿易不均衡を無くせ」「国際協調型経済へ転換すべきだ」と圧力をかけてきました。いわゆる「プラザ合意」であります。 そして、この合意で対ドル260円から120円へと急激な円高が押し進められました。それと同時に、工業製品の海外での生産をもっと増やすこと、合わせて農産物をもっと輸入することが決められました。さらに、米国はオレンジ、牛肉だけでなく、米も自由化せよと圧力をかけてきました。 このように、「プラザ合意」によって、日本はグローバル化の渦中へと引き込まれたのです。一つは工業の海外生産の拡大、つまり生産拠点の海外移転、もう一つが農産物、雑貨、日用品等の輸入拡大という形で「二重の国際化」が推し進められたのです。こうした結果、農業もまた急激にグローバル化の波にさらされることになりました。 Fそして1990年代へと進みます。この時期は、日本と世界の食料や農業に関して注目すべき出来事や問題が数多く起きています。 まず1つは、皆さん「74」の衝撃を覚えていますか。1993年産米の作付指数が74に落ち込み、日本国内から米が無くなってしまいました。いわゆる「平成米騒動」です。 2つ目は1996年にローマで開かれた「世界食料サミット」です。特に印象的であったのが、世界には8億6千万人の飢餓人口が存在してことを明らかにし、これを2015年迄に半分に減らそうという宣言をしたことです。改めて、世界の食料問題が深刻なことが浮き彫りになりました。 第3は、1995年のWTO(世界貿易機関)の発足です。これにより、農産物を含めて貿易自由化をどんどん進めていくことを決めたわけです。 そして第4が、阪神淡路大震災です。大災害の怖さとか、防災、ボランティア活動の必要性など多くの教訓を残しました。そこで、一つ強調しておきたいのが23万個のおにぎりの話しです。大震災の翌日1月18日に神戸市西区の農家の人達がいち早く2000個のおにぎりを被災地に届けました。しかし、そこで聞かれたのは感謝の言葉ではなく、「これでは足りない」だったそうです。そこで、農家の人たちは発奮してその後毎日毎日おにぎりを届け続け、その数が23万個になったと言われています。そこで何を言いたいかといいますと、大きな災害が起こった場合災害地のできるだけ近くで食料支援ができることの大切さです。いくら食料があっても交通が遮断されていたら遠隔地からは支援ができません。神戸市内で農業があり、農家がいたからこそすぐにおにぎりの支援が出来たのです。この教訓は是非とも大切にすべきです。食料を生産する農家が近くにいることの大切さを忘れてはなりません。 それから、大規模農家の減退、限界集落の増加等が進むのも1990年代です。90年代はよく失われた10年と言われますが、農業で言いますと1990年に11兆5千億円あった農業産出額が2000年には9兆1千億円へと2兆円以上も減少しました。 これでは駄目だ。国民的課題になった食料、農業、農村問題を何とかしなければならないと言う事で1999年に新しい基本法である「食料・農業・農村基本法」が制定されました。基本法の柱は@農業の持続的発展A食料の安定供給B農業の多面的機能の十分な発揮C農村の振興となっています。なかなかしっかりとした方向だと思います。 しかし、問題もあります。新しい基本法では農産物の輸入についてこれまでの基本法より後退しています。農業に市場原理を導入し、競争させるべきだとも言っています。一方で夢のある話しの反面で、厳しい対応を迫っているのが新しい基本法の特徴です。 こうして、日本農業は21世紀へと乗り出して行くわけありますが、日本農業をめぐる状況は依然波高しであります。果たしてわが国の21世紀の農業・農村・農家はどうなって行くのか、クイズをしながら見ていきたいと思います。 2.日本農業の現状 クイズ形式で進めたいと思います。クイズは10問です。 @農家全体は今も減り続けているが、わが国農業の中核である主業農家はあまり減少していない。ホントかウソか。 ⇒答えはウソです。主業農家は80万戸から30万戸に減少しています。日本農業の中核を占める主業農家の大幅減少は深刻です。 A2015年農業センサスの販売額別農家動向をみると、増加している階層は3000万円以上だけである。ホントかウソか。 ⇒答えはホントなんです。3000万円以上は全農家の1.2%にすぎません。ですから、ごくごく一部の大規模農家以外は軒並み減少しています。 B基幹的農業従事者のうち65歳以上が占める比率は、最近(2015年)の農業センサス結果によると@17%A51%B65%になった。 ⇒答えは65%です。農業従事者の高齢化が進んでいることを如実に示しています。 C最近(2010年)の耕作放棄地の面積は、@12万haA34万haB40万haである。 ⇒12万は1980年 34万は2000年のデータです。答えは40万haです。2015年のセンサスでは42万haと一層増加しています。 D最近(2013年)の米販売農家の家族労働1時間当たりの所得(時給)は、627円A798円B858円である。 ⇒答えは627円です。798円は最低賃金の平均、858円は大阪府の最低賃金です。米作農家の所得が如何に低いかを知っておいて下さい。 E最近発表された農水省のデータによると、2011年の国民全体の食料消費額(76兆円強)のうち農業・農家の取り分は@29%A15%B12%である。 ⇒答えは12%です。29%は1980年、15%は2000年の数値です。農業・農家の取り分が大幅に減っていることに注目して下さい。 F最近(2013年)のわが国の農業就業者1人当たり農業予算は、先進工業国の中でトップクラスである。ホントかウソか。 ⇒答えは残念ながらウソです。トップどころ下位です。仏がトップで次いで米・独で日本の倍以上です。国家予算に占める農業予算の比率もけっして高くありません。 Gわが国の穀物自給率は人口1億人以上の人口大国(11ヶ国)の中で中位である。ホントかウソか。 ⇒答えはウソなんです。日本の穀物自給率は28%しかなく、178ヶ国中125番です。それより低い国は中近東の砂漠の国や北極圏のアイスランド、香港やシンガポールといった国々です。また、OECD34ヶ国の中でも日本は29位です。 H食料自給率の向上を望む声は直近の世論調査(2014年)によると90%を超えている。ホントかウソか。 ⇒答えはホントです。食料自給を望む声は年々増えてきています。いまや、食料自給率の向上は、「天の声・地の声・民の声」です。 I最近(2011年)の内閣府の世論調査によると都市住居者の若い世代(20〜29歳)で農村移住を望んでいる人が@21%A32%B39%いる。 ⇒答えは39%です。 2005年の前回調査よりも若者及び都市住民が農村への移住を望んでいること、農業・農村に関心を持っていくことが明らかになりました。私は、この傾向に注目しています。 おまけ:大根1本がスーパーマーケット等の小売り段階で100円で売れたとすると農家の取り分は大体6割(60円)である。ホントかウソか ⇒答えはウソで、農家の取り分は35%しかありません。野菜全体では46%です。 以上クイズで色々お話してきましたが、農業・農村・農家の厳しい現実、苦しい状況を理解して頂いたと思います。 そこで、おさらいをしておきましょう。 @全体的に農業の基礎資源(農業者・農地・技術等)の減少・劣化・未利用・破壊が進んでいる。 A“米を作っても飯が食えない”が現実となっている。それだけ、農産物価格が低迷している。また、農業・農家の取り分(配分)が減少している。 B零細・弱小農家は言うに及ばす、これまで大規模農家と言われた階層さえ減退し苦渋している。 C農村で「6つの空洞化」と言われる現象が進んでいる。これは。是非注目していただきたいことです。 1.産業の空洞化−農水産業等の縮小・減退 2.人口の空洞化−農業従事者・農村・農家の人口 3..土地の空洞化−耕作放棄地の増加 4.集落・村の空洞化−限界集落の増加等 5.安心安全の空洞化−自然災害の多発・防犯・防災の低下 6.誇りや愛着の空洞−自分たちの集落や村に対する誇りや愛着の低下 この農村に起こっている6つの空洞化は深刻です。 しかし、反面で食料自給率の向上を求める国民の声の高まり、都市の若者等の農村・農業への関心の広がりなど農業・農村にとって良い風、新しい歓迎すべき動きも出てきています。私は、こうした動きに注目しています。 3.日本の農業の未来−これからの農業をどうするか− 続いて、日本農業の未来について考えてみましょう。 クイズ形式で日本農業の現状を見てきましたが、なかなか厳しいと言わざるをえません。これが、現実ですので目をそらすわけにはいきません。 さて、どうするか。私たちはまず、これからの日本農業や国の在り方を考えていく上で先人達の素晴らしい見識や知恵から学ぶ必要があります。そこで、3人の先人の卓見を紹介したいと思います。 最初は「新渡戸稲造」さんです。 彼は1898年に「農業本論」という本を出していますが、その中で「農は万年を寿ぐ亀の如く、商工は千歳を祝う鶴に類す。この両者相まって初めて完全なる経済の発展を見るべく、而して後、理想的国家の隆盛をきすべきなり」と述べています。すでに100年も前に農工商が相まって共存共栄してこそ経済及び国の真の発展があるんだと説いています、これが非常に大切な事です。 2人目は「関 一」さんです。彼は1923年から34年にかけて大阪市長をされた立派な方です。御堂筋や地下鉄、大学をも作ったことでも有名です。関は、次のように語っています。「大大阪の市域内に7千町歩の田畑を包含する事実を以て如何にも不自然にして不可思議の現象なる如く考ふる人々は都市を以て人家連坦瓦の海であるべきものと謬想に捉われている」と。都市に農地があって当然だ、なぜなら都市には農地を含め緑地が絶対に必要であると説いています。都市の緑化を力説しています。また、都市に高層の建物ばかり作っては駄目だ、それは将来国民に墳墓を残すだけだとも言っています。都市と農業・農村のあり方、まちづくりの基本をついた卓見です。 3人目はドイツの人で「Small is Beautiful」を書いた人E・F・シューマッハーです。彼は、すばり「人間は工業なしで生きていけるが、農業がなければ生きられない」と言っています。至言です。また、農業の目的を@人間と生きた自然界との結び付けを保つこと、A人間を取り巻く生存環境に人間味を与え、これを気高いものにすること、Bまっとうな生活を営むのに必要な食料や原料を造りだすことだと言っています。含蓄のある指摘です。 以上、三人の先人の優れた見識を紹介しましたが、これからの農業の方向,あり方を考える時こうした先人達の言う農の本質、農の価値や哲学をしっかり受け止めておく必要があります。 さて、これからの日本農業についてでありますが、最近「強い農業」づくりが盛んに言われております。特に、安倍内閣になってから「強い農業」づくり、「農業の成長産業化」が強調されています。そのため、農業の規模拡大を一層進め、大規模農家・法人経営が生産の大半を占めるようにしていく政策が進められています。 私は、これからの日本農業は大規模化、「強い農業」一辺倒でいいのかと、いささか疑問をもつています。私は、「農業石垣論」と呼んでいますが、日本の農業というのはお城の石垣のようだと思っています。お城の石垣が大小の多様な石で組み立てられ、それ故堅牢で長い間存続しているように日本の農業も大小の多様な農業によって担われることが必要であると考えています。そのことが、日本農業の存続と発展にとってベターであると確信しています。皆さん、いかがでしようか。 もう一つこれからの農業を考えでいく上で重要な課題は、儲かる農業ということです。これは、非常に大事な問題です。農業も産業ですから。しかし、儲けだけで農業を考えていいのか、儲けを最優先する論理や行動で農業を捉えることだけでいいのかという問題が横たわっています。日本の農家の多くの行動原理というか基準は、儲けること、つまり利潤の追求を第1に置くのではなく、自分たちの暮しを支えることが目的です。自分や家族の生活を支えることを目的とする、いわゆる家族農業が実は日本でも他の国々でも圧倒的に多いのです。ですから、国際食糧農業機関は2014年を「国際家族農業年」として、家族農業の存続と発展を図っていこうと呼びかけたのです。 次に、これからの農業は国民の願いやニーズに寄り添いながら改革・再編していくことが求められています。先にもクイズで確認しましたが、国民の圧倒的多数が食料自給率の向上を願っています。安全・安心な食べ物や環境に優しい農業を求めています。こうした国民の声に農業サイドが積極的に応えていく必要があります。最近、日本の農業はもっと輸出に力を入れるべきだという意見が強まっています。しかし、私はわが国の農業の本来の目的は輸出産業ではなく、国民に安心安全の食料を提供することだと思います。あるべき方向を間違ってはならないと思います。 これまで何回となく口にしましたが、現在わが国の農業は厳しい状況にあります。それだけに、農業の周辺から夢や希望や未来をなくしてはなりません。ドイツの村づくりのスローガンは、「わが村には未来があり、わが村は美しい」です。未来があるから美しいむらづくりができるのです。日本人の一番好きな漢字は「夢」だそうです。ですから、これからはわが国の農業についても夢のある話し、元気が出る話しをどんどんしていく必要があります。ため息や嘆き節からは元気が出てきません。「日本の農村・農業には未来がある」という確信をもって一歩一歩前進していくことが大切だと思っています。 そのためにも、第1にわが国の農業に貼られた「衰退産業」「国際競争力の欠落」「経済成長の邪魔者」「過保護」などの誤ったレッテル、暴論・詭弁を取り除いていくことが大切です。 第2は、農業者が自主性・主体性をもっともっと発揮していくことです。志を持った農業者が集まり、新しい販売組織を創る、農業の6次産業化を進める、地域内で農業・商業・工業の連携を図る、消費者とのつながりを強めるなどの取り組みを強めていく必要があります。若者や女性の参画、農協の自主的改革も求められています。 第3は、多くの国民、消費者との連携です。そして、農業や農村の理解者、ファンを作っていくことです。 最後に一言。わが国の農業を元気にしていく、夢のあるものにしていくためには熟年の皆さんの役割がますます大事になっています。それは、熟年の皆さんは食料の大切さ、農業や農村の役割などについて良くご存じであり、そういう知見や経験を踏まえながら若者たちに農業の重要さを伝えて頂けるからであります。期待しております。ご清聴有難うございました。 |
平成28年1月 講演の舞台活花
活花は季節に合わせて舞台を飾っています。
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