第1回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成26年5月16日
怪異・妖怪文化の伝統と創造
国際日本文化研究センター 所長
小松 和彦 氏
講演要旨 現在の日本文化の一部としてすっかり定着した妖怪ブーム。 今まで見過ごされていた怪異・妖怪文化の今まで、そしてこれからについてお話します。 |
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はじめに 小松和彦です。日本の妖怪について1〜2時間で話すのは不可能です。12回位時間をとって頂ければ納得してもらえる話ができると思いますが、本日は限られて時間の中で、ほんの一部分になりますが、お話したいと思います。 1.履歴と仕事 妖怪文化を研究して40年近くになります。研究の遍歴についてお話します。 1978年「神々の精神史」と言う論文集を発刊しました。日本の神様の性格、庶民の中に生きている神はなんだろうか、町の祠に祀られて神の謂れ、御利益等を研究のモチーフにして、伝説、説話、祭りを調べ日本の神々の性格を論文にまとめました。 日本の神には良い神ばかりではなく、悪い神 悪霊の類も沢山あり、これらも信仰されて来ました。中でも「ツキもの」が気になりました。悪霊の類が人に乗りうつる事が沢山ある。人間の霊だけでなく、狐、蛇、犬等動物がつくこともあり、そしてこれらも信仰されて来た。何故信仰されたのか?神の研究の延長上で考えました。これらをまとめて「憑霊信仰論」を発刊しました。 日本の神の研究は悪霊の研究につながると考え、周囲は研究の将来性についてはどちらかといえば否定的でしたが、人々はどうして「狐つき」「生霊つき」といったことを考えざるを得なかったのか、日本人の文化にそれはどのような役割を果たしたのかを考えることは大切なことだの確信があったので、悪霊の研究を進めることにしました。 次に刊行したのが「異人論」です。これは冒頭の論文「異人殺しのフォークロア」がメインの本です。夏目漱石・小泉八雲・杉本苑子さんや京極夏彦さんらが小説の素材にした民間伝承を分析したものです。旅人に宿を提供し、宿の主人がその旅人の所持金に目がくらんで旅人を殺し、その後、旅人の祟りが生じるという話です。この話の中から、地域の信仰や旅人への接待、その裏側で起こっていた殺人、殺された者の呪い、といった要素を考察し、そこに様々なメッセージを読み取りました。すなわち、これらの伝説を作り話・迷信話として片づける訳にはいかない重要な文化財、文化の表現、日本人の世界観の表現なのだと思い、研究を始めたわけです。 そして、「異人」「異界」「妖怪」といったキーワードを掲げて、40年間も「妖怪・怪異・悪霊」は意味があるということを、「日本妖怪異聞録」とか「妖怪学新考」等の妖怪文化の啓蒙書・概説書を出し、妖怪は、物語・絵・芝居・映画など様々な文化領域に登場しているので、研究も学際的にならざるをえないのですが、そうした学際的研究を組織し、学術的新領域としての妖怪学を開拓する必要を提唱しました。 私は自らを「妖怪文化の宣教師」と決め、ときにはいろいろな方と対談し、ときにはメディアの取材に協力して説き続けてきたわけです。とくに、テレビでは、1993年には、NHKのテレビ番組・人間大学シリーズ「日本人と異界」では、絵巻を中心に、面白い妖怪を紹介しました。ただ、当時はまだNHKの上層部には「妖怪」と言うタイトルにすることに抵抗があったらしく、「妖怪」ではなく「異界」としました。また、5年前には、NHK「知るを楽しむ」シリーズの中で「神になった日本人」を担当しました。これは、元は人間であった人が神として祀られているということに注目したもので、これには二つのタイプがあって、一つは怨霊=悪霊系で、例えば、菅原道真は都に帰ることなく、死後祟りを為し、北野天満宮に祀られています。一方、怨霊にならなかった徳川家康は東照宮、豊臣秀吉は豊国神社に祀られていることもあります。 このように、日本人の神観念は非常に幅広い。御利益をもたらす神、怨霊、怨霊であったものが、祀り方によっては御利益をもたらす守護神になったりもします。私は妖怪を研究していますが、念頭にあるのは「日本人の神観念」なのです。どういう神観念を持ち、それがどんな文化を生み出して来たのかが大事であって、それを極める手がかりが、妖怪なのです。今までは研究に価しない低俗な文化と言われていた妖怪文化を発掘、整理し、それが使い方によっては、現在さらには未来においてさえ活用が可能な重要な日本の文化財となるのです。 妖怪研究と関連するのですが、私の妖怪研究の端緒は大学院時代に始めた、四国・高知県の山村に伝わる土着の宗教「いざなぎ流」の研究にありました。彼らは沢山の信仰、宗教知識を持ち、神話、伝説等長大な物語を伝えていました。これらが中国の陰陽道の流れを汲んでいることが分かりました。この研究を通じて、彼らの宗教観、生活の中の妖怪のから、日本人の宗教観、妖怪観、陰陽道の歴史などを考え、現在に至ったのです。 2.総合・学際日本文化学としての妖怪 私の妖怪研究の根本は民間宗教の中の妖怪、神・仏を、民俗学的、人類学的に研究するということなのですが、さらには日本の文化として妖怪の重要性を強調してきました。 また、民間に伝わっている妖怪話を整理しようと考え、柳田国男や折口信夫らの薫陶を受けた地方の民俗学者たちが報告した民間伝承資料から、妖怪話を拾い集めて、データーベースを作成しました。いまでは、私の研究所のホームページからどの地域にどんな妖怪がいるかを知ることができます。さらに、外国の研究者の便宜をはかるために、妖怪画のデーターベースも作りました。フランスで日本の妖怪展が開催されたことがありましたが、その展覧会には所蔵の資料・絵画等を提供して協力しました。 いろいろな機会をみつけて「日本の妖怪は研究に値するものである。妖怪を迷信として撲滅するのではなく、日本人の世界観の表象として把握し直し、その文化財価値を探る必要がある」と説いてきました。それを示すには大変な作業が伴うことをわかってきました。総合的・学際的文化論にならざるを得ないからです。 何度も繰り返しますが、妖怪は、歌舞伎、能、演劇、小説の芸術の分野、お伽草子、双六等遊びの分野等沢山の分野に登場します。「妖怪」と言うキーワードで日本文化を考えると、色んな分野にまたがざるをえないのです。生活道具、服、小物等色んなところに妖怪が、デザインとして使われ、浸透しています。現在のアニメ、コミックでも、妖怪が登場する作品が主流を占めています。それらを組織的に眺めていくと、「日本の妖怪文化は世界に誇れる文化だ」と胸をはって言えるのではないでしょうか。 若い外国人はアニメ・コミックで日本に興味を持ち、そこに描かれている妖怪に興味を持ちます。若い外国人の日本に対する関心の入口の一翼を、妖怪文化が担っていると言えるのです。 3.日本の妖怪文化は世界に誇れる文化である 日本の妖怪文化の特徴を整理し、何故、世界に誇れる文化なのかを述べてみます。日本の妖怪は多種多様にわたっています。その数もわかりません。よくインタビューで日本の妖怪はいくらあるか、と聞かれますが、「わかりません」と答えます。実際、次から次へと発生し、数えきれないのです。最新の妖怪を網羅した「妖怪種目事典」はありません。 妖怪画がとても豊富です。妖怪画の歴史は平安時代くらいから確認できます。12世紀ころに制作された「北野天神縁起絵巻」あたりから、妖怪が描かれています。それより古い「絵因果経」に釈迦の説教を妨害する魔物のたぐいが描かれていますが、これは日本人が描いたものか、それとも中国ですでに描かれていたものを輸入したものかが定かでありません。何れにしても、日本では妖怪を描くことが、かなり早い時期からなされていたようです。「中国・韓国では怪力乱心の類は描かず」の伝統があるらしく、妖怪を描いた絵画がほとんどありません。妖怪を描くという日本の状況は、東アジアで驚くべきことのようです。そして、この妖怪を造形するという伝統的な土壌が、今日、アニメ・コミック・ゲーム等に多様な妖怪を登場させている背景になっていると言えます。 妖怪文化は文化の多様な側面に登場します。これは民俗・文学・演劇、絵画などさまざまな分野に妖怪が浸透しているということです。着物や装飾品のデザインの素材にまでなっていました。 妖怪文化は長い歴史をもっている。日本の妖怪文化はおそらく縄文・弥生時代にまで遡ることができると思いますが、はっきりしたがわかっていません。しかし、古くは古事記・日本書紀から語られてきました。例えば、神とも妖怪とも魔物ともつかぬ八頭大蛇は、まさしく私たちの言う妖怪です。この時代から綿々と現代まで妖怪文化は発達を遂げ、現代の大衆文化、サブカルチャーにまで至っているのです。私は「日本の妖怪文化は世界に誇れる、世界の若者が日本に眼を向ける一角を担う、個性ある文化だ」と説いてきたのは、このような特徴があるからです。 4.妖怪と何か もちろん中国や韓国をはじめとして古今東西のあらゆる文化・民族に、妖怪はいます。しかし、それと比較して、日本の妖怪文化は独自の内容を持ち、独自に発展し、現在でも活躍しています。 では、妖怪とは何なのでしょうか。どのように定義できるのでしょうか。以下、3つの側面を設定して説明してみましょう。 「妖怪は現象である」例えば、向こうで何か音がした。あんな所で音がするはずがない。ひょっとして超自然的な現象ではと思う。この時、これは怪異現象=妖怪となります。さらにそれに名前をつける。例えば、「狸囃子」と名付け、この呼称を多くの人が共有したならば、もうしっかりした妖怪現象なのです。 「妖怪は存在である」 「狸囃子」は怪異現象です。しかし、その名称が暗示するように、そのような怪異現象を引きおこしたのは、不思議な霊力をもった狸ではないかと、怪異現象の原因を特定の存在も求めることがなされました。この場合、妖怪存在としての狸が誕生します。日本のカミ観念・霊魂観では、あらゆるものに霊魂・精が宿っており、それらは潜在的に妖怪化する可能性をもっていますが、実際に妖怪化した存在は限定されていました。例えば、狸、狐、蛇、鬼、蜘蛛など。 「妖怪現象・妖怪存在は絵画化された」日本人は姿形のないものに名付けし、さらに絵画・造形化することに熱心だったようです。日本では、山の音の怪異現象である「やまびこ」を、絵画化しています。江戸時代の鳥山石燕が描いた「妖怪図鑑」である『画図百鬼夜行』の「やまびこ(幽谷響)」と題して描かれています。もっとも、果たして、音の怪異現象としての「やまびこ」を絵画化した人が、鳥山石燕が最初であったは疑わしいのですが、石燕以降、「やまびこ」はそのような姿形をもった妖怪存在として共有化され、キャラクターとして定着していきました。このようにして、多くの怪異現象が怪異存在化、造形化され、キャラクターされて、現在のような豊かな妖怪文化が形成されたのです。 5.絵画を中心とした妖怪文化史 次に、日本の妖怪文化の長い歴史、とくに妖怪画の歴史を、次のように分けて、その特徴を述べてみましょう。 第一期…見えないものを絵にしようとした時代。鎌倉時代。例えば、「もののけ」を鬼のような存在として絵画化しています。 第二期…妖怪の集合や個体に名前を付ける時代。室町時代。例えば、「鬼」は集合名詞ですが、その鬼の個体に、「酒呑童子」とか「茨木童子」などといった個体名を付けて、その個体の物語が語られ、絵巻も作られました。 第三期…さまざまな妖怪を集めて図鑑を作り、それらをもとに物語をつくる時代。江戸時代。例えば、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』 第四期…キャラクター化した妖怪を楽しむ時代。江戸時代後期から明治初期。一度、図鑑に載ると、妖怪はその姿形でしか登場できないようになった。 第五期…これらの妖怪を使ったり、作家の想像力で新しい妖怪を創造したりして、アニメ・コミックを作る時代。現代。水木しげるや宮崎駿、京極夏彦各氏らの作品。 6.現代の妖怪文化 上述の第五期の妖怪文化を少し詳しく見てみましょう。今、「妖怪ウォッチ」と言うゲームやテレビ番組が人気を博しています。人気がありすぎてなかなか手に入らないほどです。「妖怪ウォッチ」とは妖怪を見ることのできるウォッチ=時計のことです。この作品にもたくさんの妖怪が登場します。伝統的な妖怪をもじったものをあれば、現代人の生活習慣・習性を妖怪化したものもあります。間違いなく、「妖怪ウォッチ」は日本の妖怪文化の延長上にある新しい妖怪文化といえるでしょう。現代のこどもたちの間にも、妖怪文化が浸透している典型的な例と言えます。 現在の妖怪文化を支えてきたのは、水木しげるです。マンガから始まった「ゲゲゲの鬼太郎」は、何度もテレビ映像化されてきました。現代のほとんどの日本人は「ゲゲゲの鬼太郎」を通じて、日本の妖怪文化を知らず知らずのうちに、日本の妖怪文化が学んだのではないでしょうか。この作品の主人公は、鬼太郎という妖怪ですが、この鬼太郎に敵対するさまざまな妖怪が、毎回登場しました。それらの妖怪たちは、「ねこ娘」のように水木氏自身で考え出した妖怪もあれば「一反木綿」のように民間伝承に基づく妖怪もあります。幸いにも日本には、民間伝承や歴史上にたくさんの妖怪があったので、それらを次々に「ゲゲゲの鬼太郎」に登場させることができたのです。その際に、水木しげるは、名前はあるがまだ造形化されていない妖怪については、自らの体験や民間伝承をもとに絵画化・造形化をしました。 ここで少し水木しげるの妖怪画を、彼が出した「妖怪事典」のスライドを見ながら参考のために眺めてみましょう。 「一反木綿」は、民間伝承をもとにして彼が絵画化にしたものです。水木の「一反木綿」の姿形がすっかり現代人の脳裏に刻み込まれていると言えます。「べとべとさん」も、民間伝承の音の妖怪(怪音)ですが、水木は姿形のないものを彼の想像力で絵にしています。「しずかももち」も、北関東に伝わる餅ついているような音を出す民間伝承の妖怪(怪音)ですが、これも絵画化しています。「算盤小僧」も、京都の亀岡市に伝わる妖怪で、算盤をはじいているような音を立てる妖怪(怪音)なのですが、これも絵画化しました。 もっとも、水木しげるはたくさんの妖怪画を描いていますが、そのすべてが彼の想像力によって姿形を与えられたわけではありません。江戸時代に書かれた絵を参考にしているように思われます。彼は、自身の創作のように言っていますが・・・つまり、妖文化の歴史を知らないと「水木さんの想像力は凄い」と思ってしまうのですが、よく調べてみると、鳥山石燕の絵にそっくりなものがあります。同様のことが沢山見受けられます。 このように、日本の妖怪文化は伝統があって、その上に創造があると言えます。水木さん一人では、たくさんの妖怪造形を創造するのが苦しかったのだと思います。宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」にも、日本の妖怪文化が活用されています。その中にガマ蛙が描かれていますが、「鳥獣戯画」を参考にしたと思われますし、紙の面をつけた妖怪が描かれていますが、これももとは舞楽に用いられる安摩の面を利用したものです。 畠中恵さんが古道具の妖怪「付喪神」を使って、「つくもがみ貸します」と題した小説をし、若い女性を中心に人気があり、ベストセラーにもなっています。私が研究した頃、「付喪神」と言っても、誰も知りませんでした。京都市立芸大に「付喪神絵巻」がありますが、当時、学芸委員も「つくもがみ」とは読めませんでした。「つくもがみ」とは、つくも=九十九、即ち、九十九年経った古道具の妖怪のことです。畠中さんは付喪神が道具の妖怪だと広く知れ渡ってから、小説を書きました。時機を得た作品化だったようです。道具の妖怪は、すでに江戸時代には「百器夜行」として、人気がありました。 以上みてみましたように、日本の妖怪文化は、長い歴史を持ち、物語、絵を作り、種類を増やし、そのお蔭で、現在、花開いていると言えますが、その反面では、妖怪実在説を信じる人が減っているのも事実です。ですが、フイクションとして妖怪を楽しむ人が増え、それが世界に広がっているのです。世界中の人々が、日本のアニメ、コミックを楽しむ時代の中で、妖怪はその重要な要素となってのですから、妖怪文化は重要な文化なのだと言えあるわけです。 せっかくですので、第一期から第三期にかけ、どんな妖怪画が描かれていたのかを紹介しましょう。 「春日権現霊験絵巻」は、「もののけ」(その正体は鬼や天狗の姿をしている)を描いた初期の作品です。この鬼は現在の定型化された鬼とほぼ同様に姿をしています。 京都の真珠庵が所蔵する「百鬼夜行図」は、妖怪を考える時にとても重要な妖怪画です。国の重要文化財に指定されている唯一の妖怪絵巻です。諸々の姿形をした妖怪たちが、夜、行列をしている様子が、描かれています。 北斎の作品に「百物語」と題されたシリーズがあります。百ではなく五点ほどしかないのですが、その一枚は「しうねん(執念)」と題され、女性の衣装箱のなかに帯が蛇に変じています。帯の妖怪化は、女性の怨念を表しています。その影響を受けでしょうか、余談ですが、杉浦日向子さんの「百物語」にも、蛇を殺したと思ったのだが、実は帯だったというマンガがあります。 月岡芳年「奥州安達ヶ原一ツ家図」は、日本の怪異・妖怪文化を象徴する代表的な絵画で、とても怖い絵なのですが、私が好きな絵画の一つでもあります。この絵は民間伝承にもとづいており、鬼となった老婆が、妊婦を泊めて殺すのですが、じつはその妊婦は若い頃に別れた娘だったというのです。 むすび 以上、概観してきましたように、日本の妖怪研究は、宗教行事、宗教的物語、神話・伝説等々の研究と深く関係しています。しかも、そうした妖怪文化の長い伝統は、宮崎駿さん、例えば、水木しげる、宮崎駿、京極夏彦、畠中恵その他の現代の作家たちに影響を与えており、それが現代文化を生み出す貴重な資源となっているのです。「日本の妖怪文化は世界に誇れる文化だ」という私の主張が少しはおわかりになられたのではないでしょうか。 私は、これからも妖怪文化はもっと掘り起こせる厚みのある文化だと思います。これまで、妖怪などは低級な文化、迷信の産物として、卑しめられてきましたが、妖怪文化は、価値のある、重要な文化であり、その産物は文化財・文化資源なのです。 今日は、皆さんが世界に誇れる日本の妖怪文化を楽しむためのお手伝いを少しできたのではと思います。もし妖怪に興味を持たれたならば、たくさんの妖怪関連本が刊行されていますが、まずは私の「妖怪文化入門」(角川文庫)をお薦めします。 本日は有難うございました。 |
平成26年5月 講演の舞台活花
活花は季節に合わせて舞台を飾っています。
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