第9回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成25年2月21日
「ごみ」は、非常に雄弁だ
〜家庭ごみから災害ごみまで〜
京都大学環境科学センター助教
浅利 美鈴 氏
講演要旨 「ごみ」は、生活する世界の誰もが出している。ごみを見ると、生活や暮らしぶりも分かる。ごみを徹底的に調査した結果、見えてくる社会像とは? 減らすための方策とは? その先の社会とは? ごみの世界に誘いたい。 |
||||
はじめに 私は京都大学工学部に入りました、授業で環境問題の勉強をしていましたが、周りを見ますと大学自体が凄いエネルギーを使っているし、ごみの分別もしていない、こんなことでよいのかと疑問に思うようになり、友達に呼びかけて「京大ゴミ部」というサークルを立ち上げました。その過程で子供達にもごみの事を教える必要を感じ「環境塾」なども始めました。そして恩師の高月 紘 先生(イラスト筆名:High Moon 現京大名誉教授)と出会いましたのもこの頃です。 人々の中の環境問題に対する関心や意識のレベルの差を階段のイラストで表現されたものを見て大変感銘を受けました。そして机上の研究や自分たちだけで勉強しているだけではなくて、この人達の中に飛び込む必要があると一念発起しました。 そこで「びっくり!エコ100選」というイベントを、文字通り多くの人々が行き交う百貨店の一階を会場として始め、今まで続けています。(8年になります) もう一つ「3R・低炭素社会検定」という、ごみと省エネ、創エネの知識を身につけて貰うのを目的とした活動もしております。 さて、京都大学環境科学センターのことですが、始めて耳にされた方が多いと思います。ここは1977年に創設されました。丁度今の中国と同様に、当時日本ではまだ公害問題を抱えていた時期です。京大でも「毒たれ事件」と言われる事件が1972年に起こりました。研究室で水銀を使い、使用後は流しに捨てていました。内部告発があり、マスコミでも報道され大騒ぎになったのです。これではいけないと原点処理、排出者責任、つまり学内で廃液処理をする目的のもとにセンターが作られ、燃えるものは燃やして分解し、重金属などは専用の装置で処理するということで現在に至っています。その後時代が進むにつれて学内の様々な設備等も増加し、当然ながら実験廃棄だけでなくエネルギー消費やCO2排出に関する問題も広がっています。1991年と2007年とを比べると科研費は3倍近くになり、CO2は2倍になっています。今までは大学や研究室は環境問題に関して枠外とか聖域とされていましたが、今やそれでは済まなくなってきています。 「ごみ」とは? 身近な存在である「ごみ」が話題に上ると、行政批判になりがちです。しかし話を進めていくと、リサイクルの状況やそれにかかる費用、ごみ捨てのマナーなどに話題が移ります。それでもマイナスイメージが付きまといます。しかし興味ある研究素材です。この研究分野はすそ野が広く、個人の環境意識や行動について、ごみを通して研究できますし、自治体や国による政策の相違なども興味ある研究分野です。物の循環や動きに目をやるのも面白く、有害物質(例えばダイオキシン)が最終的にはどうなるのかなども、ごみが重要な切り口です。ビジネスにつながることで言えば循環・処理技術も私たちの生活には不可欠です。様々なアプローチができる研究対象です。その中で私は、環境工学といわれる分野で研究を続けています。 ごみの分野の学会としては「廃棄物資源循環学会」があり、研究者、専門家、個人、団体で3157人の会員ですから、何万人という人を巻き込む分野になっています。ごみの研究が拡大してきているのはその分ごみが増えていることを表すのですがアジアや南米、アフリカにも広がっています。 「ごみ」という言葉は語源をたどるといろいろありますが、ここでは法律的にはどうかと考えてみます。日本には循環基本法があります。その下にある廃棄物処理法によりますと、「廃棄物とは、ごみ、粗大ごみ、燃え殻、汚泥、ふん尿、廃油、廃酸、廃アルカリ、動物の死体その他の汚物又は不要物であって、固形状又は液状のもの(放射性物質及びこれによって汚染された物を除く)」となっていて、結局「ごみ」を定義していません。 なお、ここで「放射性物質及びこれによって汚染された物を除く」とあることが、今回の3.11震災で福島の原発事故による放射能で汚染された災害廃棄物の処理がなかなか進まない原因の大きな一つであることを指摘しておきます。そういうものに対応する法律がなかったがために処理が停滞してしまったのです。 「ごみ」の定義に戻りますが、消去法で言いますと、廃棄物の内から産業廃棄物(20種類の産業廃棄物と特別管理産業廃棄物)を除いたものを一般廃棄物と呼びますが、さらにその中から特別管理一般廃棄物とし尿、生活雑排水を除いたものを「ごみ」とします。この「ごみ」も事業系と家庭系とに分けられます。結局「ごみ」とはし尿ではなくて人が不要だと判断した産業廃棄物ではない固形状のものと言えます。 この後はそういう家庭ごみについて話を進めます。日本人は1日に1人1kgのごみを出します。産廃も含めると12sになります。産廃は我々が間接的に出しているのではありますが日本全体としては一人一日12sのごみを出している勘定になります。量的には問題は大きいと言えます。しかしここ最近一人あたりの一般廃棄物の排出量は減少してきていまして平成21年には1kgを切りました。記念すべき年だと思っています。 一方産業廃棄物の発生量は1985年以来約4億トンで減少していません。ただ、最終処分量(埋め立てに回る量)はここ10年減少してきています。できるだけリサイクルやリユースをして埋め立て処分量を減らす努力をしてきていると言えます。 「ごみ研究の原点、『ごみ調査』」~臭うところに我らあり〜 家庭ごみ細組成調査、略して「ごみ調」、を実施しています。一つの地区につき1回(約3日)分のごみ100〜150袋の家庭ごみを集めて細かく調査します。住民の方に趣旨を説明して協力をお願いし、家族構成や何日分のごみかなどを聞き取ったりもします。その後実際に細かく分類仕分けを行います。前述の高月先生が始められて35年続いています。5年に一度は厨芥類調査と呼ぶ徹底した調査を行います。20人から30人位で始めるのですが最後までやりきるのは女子の方で男子は途中でギブアップ状態になります。 素材だけではなく用途に関しても分類するので300種位になります。こうして得られたデータはごみの発生メカニズムや減量対策研究、さらにはカロリーや成分を見てリサイクルやごみ処理のあり方などを考える際に活用しています。 「家庭ごみ」を中心に結果をみてみる ごみの内訳を重量で見ますと,4割が食料品ですが、水分が8〜9割あり殆んどが水分と考えられます。重量が相当ありますので結局生ごみをどうするか、が大きな問題です。次に使い捨て商品は増えてきています。35年前にはこの項目はなかったと言って良いと思います。目立つのは紙おむつで、子供用、大人用、ペット用が3分の1ずつ出ています。PR関係の項目では開封もされないDMが多く見られます。 食品ごみをさらに詳しく見ますと、そのうちの44%を占める野菜のくずや果物の皮などの調理くずは避けられないものですが、気になるのは同じくらいを占める食べ残しです。年々増えてきています。中でも手つかずの食品が圧倒的な部分を占めているのは大きな問題です。食品ごみ全体から見ても28%、約3分の1を占めています。具体的には野菜、お吸い物のパック、うどん、あらゆる加工品などですが、以前は腐ったりカビが生えたりしたものでしたが、カビも生えない半加工したものが年々増えてきています。 こうした残飯による食生活の損失は金額にして約11兆円に上り、それは国内の農業・水産業の総生産額12兆円にほぼ一致するということで、いわば日本のお百姓さんや漁師の方が汗水たらして作ったものをすべて捨てているといえます。 別の面から検証しますと毎年発表されます食料需給表から求めた食料供給量は国民一人当たり2,550kcalで、一方食料摂取量は1,900kcalですから、3割位は供給過剰になっています。この3割分がごみになって出てきているといことです。この原因の一つは期限表示ではないかという指摘があります。5日以内に消費すべきという消費期限のほかに、未開封でかつ指定された方法で保存すればおいしく食べられるという賞味期限とがありますが、この2つを混同しているのではないかということです。牛乳も消費期限と思いがちですが、賞味期限になっているものも多いので、みなさん確認してみて下さい。 劣化具合を見るために消費期限24時間以内の弁当などで実験してみますと数ヶ月経っても見た目には変化がないものもあります。(ある意味ではそれだけ保存料や防腐剤に漬け込まれているということかもしれません。)このような期限表示への思い込みがごみを増やす一因ではないかと思います。NHKの「ご近所の底力」という番組に協力して、市民の方と一緒に調査をした際、期限別に並べてみるとたいていは期限後1週間程度のものが多かったのですが、期限前のものを捨てている方も多いのに驚きました。 「賞味期限がごみ起源」というキャプションのついた高月先生の漫画もあります。先ほど一般廃棄物は一人1日1kg、産業廃棄物は11kgと言いましたが、生ごみだけを見た時は非常に特徴的です。ごみ全体では1割くらいなのに対して、生ごみに限ってみてみると3分の1強が家庭に由来しています。したがって家庭の生ごみを減らすことが重要です。製造業の方は食品リサイクル法がありリサイクルは進んでいますが、家庭、外食産業、小売業(スーパーを含む)、コンビニなどではほとんどリサイクルがされていないのが実情で、特に家庭から手つかずのごみなどを出さないなどの努力が必要です。具体的には、空腹時に買い物をしない、また、スーパーなどが値下げして束にして提供しているようなものはよく考える、それに乗って無計画に買わない(家庭でごみを引き受けることになります)、そして地元の旬の食材を選ぶ、つまり地産地消などの努力も大切です。 地元の旬の食材を選ぶ地産地消は環境破壊を食い止めるためにも効果があります。例えばトマトをつくるのに夏秋の旬の時期では冬春に比べて約10分の1のエネルギーで済みます。さらに、日本では6割もの大量の食料を輸入していますが、それを評価するためにフードマイレージという指標があります。もう一つバーチャルウォーターという指標もあります。 フードマイレージとは輸入する相手国からの食糧の量に距離を掛けたもので、遠くから多く来れば来るほど環境への負荷が大きくなるという指標です。 バーチャルウォーターとは輸入する食糧の量にその食料を作るのに使用する水の量を掛けたものです。たとえば牛肉1kgでは、穀物生産も含めて21トンもの水が必要です。 フードマイレージで見ますと、いろいろ環境負荷が高いと言われるアメリカと比べても、日本は相当高いことが統計上分かります。バーチャルウォーターで見ますとアメリカやオーストラリアから見えない形で大量の水が流れ込んでいることも分かります。このように食卓に並ぶものを別の角度から見てみるのも大切なことではないかと思います。 「容器も重要」 容器の視点も大切で、例えばマイバッグを持って一切買い物でレジ袋をもらわないとかさ(容積)でごみはどれほど減るでしょうか。6%減ります。重さで比べると生ごみ、つまりほとんどが水の食料品、が4割ありましたが、容積で比べると容器包装材がほぼ半分を占めます。これには紙やプラスチック、トレイなどが含まれていてレジ袋だけだと6%あります。たかがレジ袋とは言うもののされどレジ袋、これだけでもなくせば6%の減量になります。さらにカラーのレジ袋に含まれる鉛が焼却後の灰を埋め立てた後溶出する問題があります。地下水汚染や健康被害を防ぐための対策にかなりの費用が掛かります。そういう面からもレジ袋の量を減らす、そして質を変えることが重要になっています。 なぜかさ(容積)を減らす必要があるかということを費用の観点から見ますと、一袋(30リットル)の処理費用は180円です。そのうちの半分が収集運搬に掛かります。できるだけかさを減らして収集効率を上げるとそれだけコストを下げられます。リサイクルにはずっと多くの費用が掛かります。だから「リサイクルしてはいけない」という意見もあります。ただ、リサイクルにより環境負荷は下がるケースが多いですからその選択に迷うところです。後で述べますが、何より、リユース、リデュースの方向も視野に入れる必要があります。 約8割の自治体がごみの有料化をしていまして、大体1リットル1円くらいが一般的です。市民の中には30リットルを30円で処理していると勘違いされている方がおられるようですが実は3倍の180円かかっていることを認識してもらいたいと思っています。かさを減らすのは容器包装をいかに減らすかにかかっているようです。 調査のために、一つのメニューを作る前提で@便利なように、好きに買い物をしてよい家族とAできるだけ容器ごみを出さないような買い物をする家族にそれぞれ買い物をしてもらうと5倍の開きがありました。ちょっと意識して買い方を工夫すれば相当の減量になります。レジ袋の有料化が話題になったころ京大生協では強い要望があれば無料で渡すが基本的には渡さない、そして使用率が10%を超えれば有料化しようという方針で実施したところ使用率は5%〜10%に抑えられています。 もう少し長いスパンでごみの量を見てみますと、昭和30年ころまでは戦前レベルでしたが40年代で現在のレベルに上り詰めています。異常にごみが増えて高止まりしていると言えます。社会の仕組みがその10年間で変わり、大量生産、大量消費、大量廃棄するようになったのです。便利で良い時代になったと感じられた方もここには多くおられると思いますが結局そのつけがごみに来ているのです。多くの自治体ではピーク時の量の半分、昭和40年代や50年代頃の量、を目標にしています。 「ごみ」から見た「暮らし(人)」 この頃は「不況だ」とよく耳にしますが、本当の意味での「もったいない」とか「始末」ということを実践している人は殆んど見られなくなっています。いまどき消費が美徳ではないでしょうが、それでも物がありすぎて、それに振り回される、物への愛着がなくなっている時代だと思います。いい物を長くというより安い消耗品的な物を多くため込んでいると思います。 3.11の被災地に行きましたが、人々の暮らしがそのまま一瞬にして廃棄物になっている現場でこんなにも多くの物に囲まれて暮らしているのだと実感しました。 「地球家族」という写真集で家の中にあるものをすべて家の前に並べて撮影するという試みをしていましたが、例えばアフリカのマリでは数えるほどしか写っていません。一方日本では数えることができないくらい写っています。本当に大事なものはなかなか見つけることができないものです。環境白書によると日本は物の半分は輸入していてそれを貯めこむ社会、ストック型の社会とされています。それだけ日本列島は重くなってきています。 さて、最近の環境問題の話題として江戸時代を取り上げることがよくあります。江戸時代に一人一日ご飯をどのくらい食べていたでしょうか。実は個人差や職業による差はあるでしょうが平均して茶碗に10杯食べていたのです。100%自給自足の江戸時代を理解するにはお米を中心に考えるのが便利です。総生産高はお米に換算して3,000万石程度、1年に1人1石食べるとされていました、これがお茶碗に10杯分くらいです。そして江戸時代の人口が大体3,000万人でしたから消費量と生産量がちょうどバランスのとれた社会だったのです。このそう遠くない時代の生活が実際にあったのです。 それに比べて、百数十年後の今の日本人の生活ぶりを世界中の人が同じようにした場合、地球がいくつ必要でしょうか。2.4個も必要になる暮らしをしているのです。つまり半分の人口がよその星に行くか、世界の人口を半分にする必要があります。 これを算出するにはエコロジカルフットプリントという手法を使います。現在消費している資源の量を持続可能な形で生産できる土地・海洋面積として換算する方法です。アメリカの場合は4.5個になります。いかに多くの資源エネルギーを消費しているかが分かります。環境先進国と言われるドイツも2個レベルということで先進国は押し並べて地球2個分くらいの生活をしていると言えます。恐れるべきは中国でここ数年で1個分を超えます。ここで認識するべきことは今世界の平均レベルが地球1個分を超えてしまっているということです。 廃棄物の視点からは最終処分場つまり埋め立てる場所の確保が大きな問題です。これも限界に来つつあります。現状は埋立地の残余容量は年々減少していますが残余年数はリサイクルなどの努力により延長(延命)しています。とは言ってもあと15年分程度の残余しかありません。ご存じのように放射能の汚染物質や核廃棄物の最終処分場の確保が困難なように廃棄物の処分場の確保は至難の業であります。NIMBY問題と言われます。これはNot In My Backyard の意味で「必要なことはわかるが自分の裏庭にはごめんだ」ということです。ですからこの15年分の残余分をいかに長く持たせるかが今後の課題になります。 3Rで、目指せ! 循環型社会 ここで大きく舵を切るべき時に来ています。3Rの方向に進まなければなりません。資源の循環は、まず上流の天然資源投入に始まり、生産、消費、廃棄、処理、最終処分(埋立)と下流へ進むのですが、資源投入の段階で消費の抑制に努力する必要があります。これをReduce(リデュース)と呼びます。次に使用したもの(ビール瓶など)をもう一度使うReuse(リユース)、(ペットボトルを繊維に変えるなど)素材として(Material)Recycle(マテリアル・リサイクル)するの3つです。加えて焼却の際に出る熱を回収するリサイクルをThermal Recycle(サーマルリサイクル)と呼ぶことがあります。ごみをゼロにすることは不可能です。そういう時には適正処理をしていこうということです。これをシステムとして大量生産、大量消費、大量廃棄の後に用意する必要があります。以上が基本の3Rです。 技術の限界 廃棄物工学の最初の授業で示された高月教授の漫画に強い衝撃を受けました。そこには小さな焼却炉の後ろに排ガスや水銀や、ダイオキシン等々を処理する装置がいくつも付属しているのです。技術には限界があり、いたちごっこになっているから何か根本的に変えないといけないと強調されました。つまり今一所懸命廃棄物に対処してはいるが、上流側から変えないと根本的な解決につながらないのではないかとおっしゃりたかったようです。 その時、上流側の元栓を絞らせない勢力、経済界やその意を受けた政治家、その仕組みに頼る市民が存在することを忘れてはならないとの指摘も別の教授からありました。ですから蛇口を閉めて物の量を減らしながらもお金が流れていく方向、付加価値の高い物の循環に戻る必要があります。世界に逆行するかもしれませんが、数十年もすればその方向に向くと確信を持っています。今日は3Rの確認をしましたが、さらに2Rの社会へ舵切りができるようにご協力をしていただきたいと思っています。リサイクルには頼らず、リデュース(発生抑制)とリユース(再使用)のみの方に切り替えるということです。缶ビールではなく瓶ビール、パック牛乳ではなく瓶牛乳を、ということです。こうしてさらに2Rの社会に進むための知恵を絞るために皆さんのご協力をお願いしたいと思っています。 皆様へのお願い ごみから私が見る範囲では本当の意味での「もったいない」というものは失われていると思います。そういう意味で皆様の世代の方々にこの「もったいない」という観念を次の世代に引き継いでもらいたいと思います。日本人ならではの文化であり知恵であると思います。 今、目に見えて世界が音を立てて崩れて行っているわけではありませんが、ごみを減らす、省エネをするなどの努力をして将来への付けをできるだけ少なくする生活を目指していただきたいと思います。 このようなことを声を大にして言ってもついてきてくれない時、分かってくれない時もありますが、是非あきらめないで、楽しみながら、一人でも多くの仲間を作るように頑張っていただきたいと思っています。 |
挿入した環境マンガ画像の出典:京エコロジーセンターホームページ
(講座要旨の中で紹介されている高月 紘氏作)
平成25年2月 講演の舞台活花
活花は季節に合わせて舞台を飾っています。
平成24年3月までの「講演舞台活花写真画廊」のブログはこちらからご覧ください。
講演舞台写真画廊展へ