平成18年度
熟年大学
第八回
一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成19年1月18日
日本の教育問題を考える
~学力低下とその向上策~
京都大学経済研究所 教授
西村 和雄 氏
講演要旨 少数科目入試、ゆとり教育など、この25年間で日本の教育改革のもたらした結果を検討して、学力を回復する具体策を提案します。 |
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(1) はじめに 私が教育問題を考えるときの立場は、若し何か好ましくないことがおきていたらそれは制度が悪い。人間はそれに対応しようとするからである。その被害者は子供たちであり、そして日本の将来である。そういう立場で考えている。 (2) カリキュラムの見直し 最近、必修科目を、未履修のまま卒業させようとしていた高等学校が発覚し、問題となったが、この背景に、週五日制で授業時間が足りない、大学入試の多様化で、受験科目数が少なくなっている、社会科の必修科目が多く、縛りが不自然であることなどがある。 地歴(日本史、世界史、歴史)では、世界史が必修であり、合計二科目を選択しなければならない。加えて、公民(現代社会、倫理・政治経済)の中からも一科目を選択する必要がある。 ちなみに、理科は理科基礎か理科総合を含む二科目、数学は数学基礎と数学Ⅰのどちらか一科目のみが必修である。 英語、数学、理科について、それぞれがまた細分化されていて、勉強しにくいことこの上ない。これが高校生の学力の低下の一因となっている。 その上、ゆとり教育による学力低下に加えて、工学部生が物理や微分積分を学んでいなかったり、医学部生が生物をとっていない現状がある。 結果として、現状では、社会科の必修が、バランスを欠いて多くなっている。カリキュラムをもっと勉強し易いものに変える必要があろう。 評価方法を、より主観的なものに変えることの度に、子供たちのいじめや非行は、増えているようにさえ思える。悪い効果を生む疑いがあり、良い効果が無いことが確かである制度は廃止されるべきであろう。 (4)自立学習の普及 現行の指導要領で学んだ大学生が入学し始め、大学の現場から学生の読解力、文章表現などの大幅な低下を指摘する声が届いている。 日本の子どもたちの読解力の欠如は、単に国語力によるものではない。ゆとり教育の下で、すべての教科の内容が、脱論理的に変化したことの累積的な影響が、読解力を低下させているのである。 中学の英語では、会話しか教わらない。その結果、多くの中学卒業生が、主語、述語、目的語、すなわち、昔であれば、中学で習っていた文型を読み取れない。中学では、会話文だけでなく、もっと論理的な文章を学ぶ必要がある。国語でも、主語と述語、修飾語、そして文章の構造を読むことができなくなっている。 教科書が簡素になり過ぎて、読む価値がなくなっていることも、更に読解力を低下させている原因である。子供が自分で読んで、勉強できる教科書が望まれる。 人は何のために生きるか。人生はリレーみたいなもので、親の世代からバトンを受けて、子の世代にバトンを渡す。親の面倒を見ることと、子供の面倒を見ること。これが人間がやること、それの繰り返しだと思う。クリントンが日本の高校生とテレビで討論したときにも同じことを言っていた。高齢者福祉と教育は、時代と国を超えてあてはまる、政治の2本柱でなければならない。 皆さん高齢者は、これからそこへ入ってくる団塊の世代を含めて、人数が多いから、やろうと思えば非常に大きな可能性を持っている。なぜかといえば、大きな「票」を持っているから。 福祉を充実させるにしても、教育を充実させるにしても、単にボランティアとしてやるだけでなく、それも大切なことだが、少しでも良くしようと思ったら、やれることは沢山ある。皆さんは社会に対して大きな影響力をして持っているのだから。 |