1.密教の請来
密教はインドに起こり、密教僧によって中国に渡ったが、806年、留学生
空海(弘法大師)によって日本に請来された。
2.高野山の開創
若かりし頃から山野を駆け巡り、その後も密教を広める場所を探していた大師が、高野山に出会うことになる。
大門から眺めた景観が、須弥山(シュミセン:インドの想像上の山)の7つの山と乳白色の海などに非常に似ていた。
須弥山の思想(世界観)を踏まえ、密教を修行する瞑想の場として最も相応しいと考えて高野山を開創された。
高野山の四季は実に美しい。水の流れる音、風の囁き、花の香り、鳥の囀り、あらゆるものが、実はこの法身である大日如来の囁きであると感じたのではなかろうか。
京都・東寺を中心としたさまざまな人間関係で煩雑になり、下界で耐えられないと思ったときに、高野山の法身の里に帰ってきて自分の心の安らぎを見出したに違いない。
すなわち、大師は法身の里で耳に聞き、目で見、肌で感じる四季のさまざまな色や音や匂いを五感で感じながら、将に、須弥山上の曼荼羅の中心に座す大日如来の懐に抱かれていると感じたに違いない。
3.高野山は法身の里であり、極楽浄土
このように大師にとって心を癒す法身の里の高野山は、後世には八葉の峯に囲まれた極楽浄土となる。 そしてアミダ仏の念仏が流行しはじめると、高野山も伽藍の根本大塔を中心にした極楽浄土となり、人々は往生するために念仏にあけくれていた。
そういう意味で、東寺が一般の人々を教化する中心となり、高野山は弟子の教育や、瞑想や、心のケア(今で言うスピリチュアルケア)を行なう場所となっていった。 そして京都と高野山を往復しながら、世俗を離れた静寂の高野山では、好んで心の洗濯をされたのである。
4.心のリフレッシュを!
このように高野山は、須弥山(シュミセン)思想に裏付けられたインドの世界観を実現した聖なる山であり、そこで大師と弟子たちは美しい四季に浸りながら自然の中でリフレッシュしていたのである。
そういうことを、今日は皆さんに60枚の画像を通じてお話しました。 私たちも、ぜひとも大師に倣って高野山でリフレッシュしたいものです。
そのことを皆さんにお勧めして終わりにしたいと思います。
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