平成15年度
熟年大学
第7回
一般教養公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成15年12月18日
〜1920年代の金融危機と「平成不況」〜
講師
和歌山大学経済学部
教授
高嶋 雅明氏
講演概要
不況が長引くに従い、第一次大戦後の不況の実情と、それからの脱出策に関心が寄せられています。 1920年代の金融危機の状態とそれへの対応策についてお話し、現在の諸課題を考える示唆とします。 |
||||
講演の要旨 |
||||||||||||||||||
私は金融史を中心に勉強してきました。
今日のテーマですが、皆さんは現在の不況をどのようにしたら良いかについてご関心が高いかと思いますが、第一次世界大戦の景気の良いときと、その後の景気後退と不況に対する各種の工夫や試みが旨く機能せず、最終的には戦争に突入した歴史経緯の辺りをお話し、今日の問題を考える若干の参考に供したいと思います。 まず二つのポイントがあります。 その一つは、銀行破綻の問題です。 昭和2年に金融恐慌が起こり、沢山の有力な銀行がつぶれました。 その後処理をどうしたかをご一緒に考え、現代の政策と比較し考えたいと思います。 二つ目は 平成の長引く不況を、昭和の始めの不況及び恐慌のもとで、株価や物の生産が一挙に半分以下に落ち込み、そののち、それからいかに脱却したかという問題と関連付けてお話します。 先ず、現在の不況の概説ですが 経済大国となった日本に対し、国際社会が1985年のプラザ合意で円高を一挙に取り決め、それに対し円高対策の大盤振る舞いをした結果として、投資が投機を呼びバブルとなり地価の暴騰となったのです。 その後必然的に暴落の道を辿るのがバブルのバブルである所以の崩壊です。 問題は、その後ずっとそれが長引き現在に至っている事です。 これと似た現象が、第一世界大戦の時の活況と、その後の不況の長引いた時期です。 「バブルの歴史」として 世界的には 1630年代の「チューリップ熱」 1929年10月の「暗黒の木曜日」 1987年10月19日の「ブラックマンデー」 日本では、 1918年〜20年3月の「第一次世界大戦ブーム」 と 1989年の「平成バブル」 などがあげられます。 第一大戦とその後の日本経済の概要(キーワード) (欧州が戦場) 輸出の激増⇒黒字の蓄積⇒鈴木商店や久原房之助や松方幸次郎の例 経済活況(輸出の激増、造船・鉄鋼・海運・炭鉱・銅山)⇒債権国化 原政友会内閣の貿易黒字活用の積極政策⇒陸海軍の軍備増強や国内の社会資本充実⇒景気過熱⇒1920年の恐慌へ その結果⇒企業や銀行の破たん⇒政府の救済策⇒銀行への特別融資 1922年の石井事件に関係する銀行の破綻⇒金融秩序崩壊の危機 1923年の関東大震災を中心とした莫大な損失⇒政府の特別処置(震災手形) 鈴木商店の不良債権の蓄積⇒台湾銀行や十五銀行の破綻⇒預金取り付け 昭和2年の3月〜4月の金融恐慌。 政府の対策 高橋是清大蔵大臣の再任⇒預金支払いの一時停止⇒取り付け騒ぎの収束 三井・三菱・住友等五大銀行への預金増や郵貯増 金融秩序の建て直し政策 銀行法の制定⇒無資格銀行の整理 銀行検査の実施 銀行合併促進⇒大銀行(都銀)と府県数行(地銀) 景気浮揚策としては、 金本位制へのリンク(1ドル2円の安定復活化)⇒金解禁制(井上準之助) 放漫財政から財政の引き締め⇒経済の不況化 しかし、この時期(歴史から学ぶ高橋是清の施策とは) 世界不況の荒波来襲⇒昭和恐慌⇒農村不況へ波及 再度高橋是清の登場⇒金本位制の停止⇒円安⇒輸出の増加 赤字公債発行⇒財政支出の増加⇒軍事費や農村土木事業への資金投入 ケインズ政策の先駆者的実践ともいわれる。 しかし赤字公社債発行中止の潮時が大切⇒軍事費削減の壁⇒昭和11年の2・26事件。 このような高橋是清の取った政策と歴史の流れを教訓に、現在の平成不況を どうのように考え、如何様に行動すべきかは、皆さん各自でお考え頂きたいのです。 大正期バブル・平成バブルとその後(比較年表)
そのヒントの一つとして、図6に示された過去13年の日経平均株価の推移と四半期ごとのGDPの成長率から、矢印が右上向きの時は、その直前に何等かの財政支出があった時期、矢印が右下向き期の時は、財政赤字の削減の為に、消費税増などが行われた時期です。その十数年の流れを見るとき、物の見事にそれが旨く図で表わされる形に連動して推移している事実です。 しかし、過去のある局面がこうだったから、現在もこうなるだろうと判断することは、歴史的条件の差異を無視するもので、歴史をやっている者として、直ちには言えません。従って現在の不況対策について云々することは差控えます。歴史の話をヒントに、皆さん各自でお考えくださいと申しあげます。 |
||||||||||||||||||
クリスマスの雰囲気がテーマの
12月講演舞台活花