第2回 茶の湯ゆかりの町を訪ねる
令和6年1月26日(金)
「黄金の日々」と謳われた中世堺の面影を辿り、
千利休と安土桃山時代の堺を、与謝野晶子を通じて明治と大正時代の堺を知り、
歴史と文化の杜を訪ねました。堺は町人自治の港町で経済は繁栄し多くの豪商が誕生しました。
長い歴史の中で継承されてきた数多くの歴史文化がありました。
堺市役所(左)、市役所展望ロビーから百舌鳥古墳群を眺める(右)
妙国寺
妙国寺道標(左)、妙国寺は、日蓮宗本山由緒寺院で元皇室勅願所です。(中)
慶応4年(1868年)2月堺で起きた土佐藩士とフランス水兵との衝突があり堺事件と呼ばれています。右の写真は土佐十一烈士墓所です。
ザビエル公園(左)、与謝野晶子文学碑(中)、晶子生家跡(右
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利昌の杜
誰もが茶の湯と文芸を楽しめる堺の歴史と文化の社です。
住吉大神と大鳥井瀬大神を祀る宿院頓宮(左)と、橋の中程に南蛮人のブロンズ像が立つ南蛮橋(右)。
「
東洋のベニス」と形容するほど中世堺の経済は隆盛を極め、当時の面影と南蛮渡来の文化があふれています。
旧堺燈台(左)と龍女神像(右)
明治10年(1877年)、イギリス人技師の設計で築造された六角錘形の燈台。
現存する日本で最古の洋式木造燈台です。約1世紀に渡り大阪湾を照らしていました。