第3回 河内三太子を訪ねる(下之太子)   令和5年1月20日(金)

今回は、下之太子と称される八尾方面の大聖勝軍寺あたりを訪ねました。太子町にある叡福寺の「上之太子」、羽曳野市にある
野中寺の「中之太子」に対して「下之太子」と言われています。これで河内三太子をすべて訪ねることができました。
物部守屋・聖徳太子の古戦場をめぐって古き時代にさかのぼり古人(いにしえびと)になったつもりで今日一日を楽しみました。



久宝寺遺跡の碑
JR久宝寺駅前、南側のバスターミナル前にあります。この周辺から発掘された弥生時代から古墳時代を経て
奈良時代に至る遺跡・建物について説明をしています。

  
跡部神社
JR八尾駅から西へ歩いて10分あまり、旧奈良街道沿いの跡部にあり、このあたりが古代物部氏の居住地で
物部守屋の阿都(あと)の別業(べつごう)があったところとされています。

   
大聖勝軍寺
用明天皇崩御のあとの西暦587年、蘇我馬子は渋川の別業で戦の準備をはじめた物部守屋を攻め、
この時まだ14歳の聖徳太子とそのパトロン的存在の秦河勝も戦さに加わったとされています。
その古戦場にこの寺が建てられたといわれ、本堂の太子堂は聖徳太子をまつる寺院だとされています。
右端の写真(守屋池)は、守屋首洗い池と呼ばれ、勝軍寺の門前に石碑が建てられている小さな池です。


  
渋川神社
当社の創建・由緒は詳らかではありません。当時周辺は物部氏の本拠地であり、
当社も物部氏が祖神を祀ったものであるという説があります。