第1回 河内三太子を訪ねる(上之太子) |
令和4年7月22日(金) |
太子町は、大阪府南河内地域に位置し、南河内郡に属する町です。日本最古の官道といわれる
竹内街道が通っていて、昭和31年9月30日に当時の磯長村と山田村が合併し、聖徳太子にちなんで
太子町と名付けられて現在にいたっています。今日は太子信仰の中核寺院叡福寺から天皇陵を巡ります。
叡福寺
叡福寺山門(左)、聖徳太子御廟(中)、叡福寺多宝塔(右)
叡福寺は、聖徳太子墓を守護するために推古天皇によって建立され、奈良時代に聖武天皇が大伽藍を整備したと
伝えられ聖徳太子信仰の霊場として発展しました。
聖徳太子御廟
御廟は、叡福寺境内の最も奥にあり、聖徳太子・母の穴穂部間人皇后・后の膳郎女が葬られ、
三骨一廟と云われる墳丘は二重の結界石によって保護されています。
西方院
聖徳太子の死後にその乳母であった月益姫(蘇我馬子の娘)・日益姫(小野妹子の娘)・玉照姫(物部守屋の娘)が、
剃髪してお堂を建立し、太子の遺髪を納めてその冥福を祈ったのが始まりとされています。
和みの広場・松井塚古墳
用明天皇陵
用明天皇は、第31代天皇。585年に即位され、わずか在位2年で病没されました。天皇陵として初めての方形墳です。
推古天皇陵
推古天皇は、第33代天皇。593年に日本で初めての女帝として即位し、在位36年75歳で亡くなられました。
墳丘の規模は、東西63メートル、南北56メートル、高さ11メートルの三段築成の方墳です。
二子塚古墳
二つの墳丘が連接された双丘の形式をもった古墳です。
【太子町観光ガイドブックより】
1400年に渡る悠久の歴史を伝える聖徳太子ゆかりの地をめぐり、古の人々に思いをはせ、
古代の息吹きを感じたロマン溢れるひと時でした。