第3回 名残りの橋を渡る(西長堀)   28年11月4日(金)

昭和46年(1971)に埋め立てられて消滅してしまった西長堀川。夢か、まぼろしの長堀川といわれています。
しかし江戸時代は、大阪湾・木津川と船場・島之内をつなぎ、天下の台所・大阪の一大動脈の運河でした。
江戸、幕末、近世と賑わった西長堀川沿いを歩いて、しばし往時を偲んでみました。


   
西長堀駅(左)、旧長堀橋跡(中)、細野ビルヂング(右)
細野ビルヂングは1936年竣工の歴史あるビルで地下鉄「西長堀」駅をあがると、すぐ目に飛び込んでくる3階建のビルです。
戦災や高度経済成長時代を経て、周囲は新しいビルに変わってしまいましたが、ぽつねんと残る時代を感じさせるレトロなビルです。

    
土佐稲荷神社
かつては土佐藩屋敷があり日本三大財閥三菱発祥の地です。


 
あみだ池大黒
長堀川畔には西国大名らの蔵屋敷が建ち並び、年貢米を運んできた船が数多く停泊していました。
あみだ池大黒の初代・小林林之助は、その船底にたまる余剰米に目をつけて、おこしの原料にすることを思いつきました。

    
 
あみだ池(和光寺)
あみだ池の通称で知られ、大阪市の南北幹線道路のひとつであるあみだ池筋の名称は当寺院に由来しています。

  
間長涯天文観測の地跡(左)、新町通り(右)
間長涯天文観測(はざまちょうがいてんもんかんそく)の地は、質商を営む町人であった間長涯(1756-1816)が、長堀川に架かる
富田屋橋の上で天文観測に従事し、天文暦学者として幕府の改暦事業に参画、寛政9年(1797)に完成させました。

  
長堀川埋立地跡(左)、四ツ橋跡石碑(中、右)
長堀川は、かつては大阪市にあった運河で埋め立て後は長堀通の一部区間となっています。
長堀川に架かっていた橋の名称は、現在も交差点・駅・バス停などに使われており著名なものには心斎橋があります。
四ツ橋は、長堀川・西横堀川に架かっていた炭屋橋・吉野屋橋・上繋橋・下繋橋の総称で浪速随一の名所でした。