第1回 国際交流の痕跡を訪ねる(勝山) |
28年6月3日(金) |
この地域は古くから開けた土地で、多くの人々が住み着き、交易も盛んに行われていました。
今回は、いろいろな「・・・跡」と呼ばれるところを見て、歩き、古の国際交流の面影を偲びました。
桃谷駅(左)、桃谷商店街(右)から訪ねます。
猫間川跡
百済川に対して高麗川(こまがわ)と呼ばれていたのが、訛って猫間川(ねこまがわ)になったと言われています。
大坂の陣では真田幸村とともに猫間川がよく登場し、兵糧を搬入したことが記されています。
が、昭和32年に完全に埋め立てられ消失してしまった川です。
つるのはし跡
「つるのはし」は、記録や遺物として残されている日本の最も古い橋です。
古くは河内・大和への交通の要所で、昭和15年(1940年)に廃橋、石碑と当時の
柱4本を記念に保存し、平成9年4月に「つるのはし跡公園」として再整備されました。
平野街道
かつての平野川は、生野区「俊徳橋」の北辺りから東成区の「中本橋」辺りまでを
流れていました。大きく曲折していたため、しばしば氾濫の元になりました。
百済橋跡
百済橋は、難波島西の三軒家川にあったものが、川の一部が埋め立てられた際に廃橋となりました。
御勝山古墳
もとは岡山と呼ばれ、元和元年(1615年)夏の陣で大阪落城の際、徳川秀忠がここで
戦勝の宴を催したことから御勝山の名で知られるようになりました。南北112メートル、
東西55メートル、高さ8メートルの前方後円墳ですが、今は後円部を残すのみです。
舎利尊勝寺
「舎利寺」は生野区の町名にもなっていますが、正式名称は「南岳山舎利尊勝寺」といい黄檗宗に属し本尊は釈迦如来です。