第2回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
2023年5月18日

「プーチンの戦争」がもたらした国際社会の変化


 

大和大学 社会学部教授 

佐々木 正明 氏

講演要旨

 ロシアのプーチン大統領は20222月にウクライナに軍事侵攻を始めた。ゼレンスキー政権は欧米の支援を得て応戦。その余波は世界各国にもたらされた。「プーチン戦争」の結末がどのようになるかを解説する。


  はじめに

今年3月に約2週間かけて戦時下のウクライナを取材するために訪問しました外務省の危険情報:4レベル「退避勧告」の中での現地取材については、次のようなことに 注意を払いました。

 →計画ギリギリまで現地の知人、新聞社特派員からの助言や戦況の推移などを確認する

 →ロシア語がどこまで通じるか?2014年までとは違う状況にあること

 →直前に迫る岸田首相のウクライナ訪問と日本政府の動向をつぶさにチェック

 ⇒3月中であれば、首都キーウやウクライナ西部であれば危険度レベルが下がっていると判断   
また日本では戦況、ゼレンスキー大統領の言葉、国際情勢の推移などの報道が中心ですが、情報に偏りがあり、現地の人たちがどうのように暮らしているのか、どのように戦争を考えているのかを伝えるべきだと思いました。

  百聞は一見に如かず

   現場の実態は、ウクライナ情勢を知るはずの取材者の見方を修正させるような光景だった。ウクライナとロシアの戦争は開戦2年目でなく実は2014年のロシアのクリミア占領から始まっていて現在9年目になっている。日本に例えると、ある国(ロシア)に九州が占領され、九州の人はその占領国の言語を強制されている。8年後ある国が大阪(キーウ)を奪取しようと九州から大阪にミサイルを撃ち込み、山口、愛媛、高知にどんどん攻め込み、大阪の近くの大阪狭山市まで迫りここも戦場となった。九州の女性はレイプされ、人々は金品を奪われている。これではたして、戦争をやめろと言えるのでしょうか?私が取材した内容や出来事、ウクライナ社会の現実を以下項目でまとめてみました。

    空襲警報に「慣れた」「疲れた」キーウ、リビウ市民

 ・ 昨年10月以降、ロシア軍はウクライナ各地のインフラ施設を狙うミサイル攻撃を続行。

   ゼレンスキー政権は欧米各国から最新鋭の地対空ミサイルを供与してもらい、防空網を完備。

ウクライナ軍は空爆の恐れがある際に、市民に「地下シェルターへの避難」を促す緊急警報を出す。市民らはアプリで警告を受け取る。

  ①キーウでの着弾は少ない②地対空ミサイルが完備されている③空襲警報アプリにより、事前に把握できる等の理由で、避難しない市民が増加している。

・心理学上のオオカミ少年効果、正常性バイアスが働いている。

    物であふれるキーウ、停電もなくなり日常が戻る

インフラ攻撃を行ってきたロシア軍がミサイルの不足により、攻撃回数が減少している。

2月中旬まで頻繁にあった停電回数が少なくなり、人々が外へ出て活気が戻っている。

ポーランドから連日、大量の物資の供給がある。春になり、避難していた市民が帰国している。

    空爆のあった日に敢行されたバレエの公演 

3月9日キーウ郊外にミサイルが着弾

この日は国民的詩人タラス・シェフチェンコの誕生日。バレエの殿堂・ウクライナ国民歌劇場でシェフチェンコの作品が公演予定だった。

公演は決行され、多くの市民が「戦時下のバレエ」の舞台に喝采を送る。

国立歌劇劇場の芸術監督、寺田宜弘さん「公演の度に心が震える。舞台は戦場。団員たちは戦っている。」

戦争に屈しない芸術。市民を癒す、励ます。    

  ④リビウで行われた合同市民葬儀 西部も戦場  

ポーランド国境に近いイクライナ西部の主要都市リビウは空爆される回数も少なく、比較的安全。空襲警報にも逃げない。

しかし、多くの市民が東部の戦場に出向いており、連日、戦死が伝えられる。

リビウ市では戦死者を市民と一緒に弔う合同葬儀を行っている。平日には欠かさず行われ、1日に数回に及ぶこともある。

市長も参加。市民たちは棺が通ると片膝をつき、祖国を救おうと命を捧げた兵士に祈りを捧げる。「彼らの死を無駄にしない」

   ⑤キーウ・黄金ドームの側に掲げられた「思い出の壁」

キーウ中心部・黄金ドームの敷地に壁が掲げられている。   

「壁」には2014年の東部ドンバス地域での戦闘で亡くなった兵士の遺影から始まる。

 2022年2月24日のロシア軍の大規模侵攻開始からの多くの兵士が亡くなっている。

 戦友や遺族がこの壁を訪れ、遺影に向かって十字を切り、祈りを捧げる。

 5歳の息子を残して夫を亡くした女性は「まだこの子は父親がいなくなったことを理解して いない。もう彼は帰って来ない」と涙した。 

   ⑥ブチャ、イルピンはまだ激戦の痕が残っていた    

昨年2月~3月にキーウ近郊まで迫ったロシア軍。激戦地となったブチャやイルピンでは多くの住民が逃れた。

1年が立ち、まだ激戦の痕は残っていた。戦闘が切り広げられたマンションは解体されず、痛々しく残る、多くの弾痕。高層マンショには焼け焦げた匂いも残る。

しかし、一歩離れると、街には生活の息吹があり、住民が戻ってきて生活を再開している。イルピンでは中心部に寿司バーも営業していた。 

    ⑦マリウポリ支援センターで物資を受け取る避難民

昨年5月までに激戦地となったウクライナ東部マウリポリ。街の90%破壊され、多くの市民が避難した。ロシア側に逃れた者も多い。子どもたちは「誘拐」された状況にある。

支援センター「私はマウリポリ」は篤志家の支援により、避難民が緊急物資を受け取れる。センター。行政サービス支援、メンタルケア、ウクライナ語教育なども行われている。

子どもの心理的な影響が深刻。「表情を失っている」。1月に逃れてきた男性「現地で自分の心情を言えばすぐに警察に連行される」

    ⑧戦闘支援ボランテイアの救命訓練。一般市民が参加する。     

ウクラクナでは男性の若者は戦地に出向いて、ロシア軍と戦っているが、さまざまな事情都市に残る住民もそれぞれの立場で戦っている。

キーウに本拠地を置く「ソロモン・キャット」は市民らに兵士を対象にした救命訓練を行っている。日本の自然災害時の救命救急士の訓練とは大きく異なる。

絶命しかかっている兵士をどのように蘇生したらよいのか?自らが大けがを負った場合、どのように止血して、助けを待ったらよいのかの訓練を受ける。

訓練を受けた後、前線の後背地に行き、実際に兵士の救命ボランテイアを行う者もいる。

   ⑨ 兵士のためのカムフラージュ服を作る主婦たち

戦闘が始まって以来、前線に祖父、父親、夫、息子たちが兵士として家族の元を去って行った。

残された娘、母親、妻たちは兵士の安全を願い、何か出来ないかと考えた。兵士は野戦を強いられることが多い。そのため、木々に隠れるように迷彩コートを作り始めた。

キーウ郊外にあるオレーナさんのグループはこれまで作った迷彩コートの面積は4000㎡以上にもなる。学校の一室を借り、主婦25人が朝8時から夜8時まで集まり、ネットをつかって作る作業を続け、「ウクライナの勝利を祈る」と言った。 

   ⑩射撃訓練を行う市民、特に女性の参加が多い

い昨年2月~3月、侵略してきたロシア軍はキーウ近郊まで迫った。なんとか撃退したが、市民  たちは祖国を守る意識が強くなった。

もともとスポーツ系の射撃を行う訓練場に市民が通うようになり、ロシア軍の再攻撃に備えるようになった。1回7500円ほどで、ウクライナ軍の熟練兵士が市民に撃ち方を教える。

訓練場の経営者は、女性が半数以上でブチャのレイプ事件による影響が大きいと言う。31歳の参加女性は「祖国を守るのに女性も男性も関係ない。私は自分で自分を守りたい」と言った。

   ウクライナ取材で感じたこと、知り得たこと

  「プーチンの戦争」の記憶は「次々世代まで語り継がれる」ロシアへの禍根は100年たっても消えないのではないか。

  同時期に中国の習近平が12の和平案を出した。多くのウクライナ人が「領土を奪還するまで戦う」「亡くなった者たちの命を無駄にしない」と言った。ウクライナ国民の心情としては、ロシア軍を領土から追い出すまで戦闘を続ける、どんな和平案でも応じないのではないか

  日本への期待は相当に高かった。日本がどうのように支援を行っているか、日本とロシアが  どのような歴史を歩み、領土問題を抱えているかの背景も知っていた。岸田首相のウクライナ訪問はウクライナ国民の励みになった。

  表面だけを見ると、平穏そうに見えるが、人々の心は強いストレスを感じている。最も必要なものはメンタルケア支援。特に子どもたちのトラウマは深刻な状況に達している。

  一般ロシア人への気持はさまざま。プーチン政権だけでなく、全てのロシア人が「憎い」「戦争を支援している」という者も多かったが、「全てのロシア人が悪いわけではない」という人もいた。ロシア語がどれだけ通じるかにも関連性があると感じた

     

            《講師未見承》



2023年5月 講演の舞台活花



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