第8回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA大ホール
平成26年1月16日
成熟社会を共に生きる
〜世代間ギャップを越えて〜
追手門学院大学地域文化創造機構 特別教授
佐藤 友美子 氏
講演要旨 豊かさを目指し、それを実現した世代と、そのプロセスを経ずに、今を生きる世代と、これからの時代を、心豊かに共に生きる為に、大人に出来る事は何か。若い人達の声に耳を傾け、共に生きる知恵を探りたいと思います |
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はじめに 最初からテレビの有る世代と、初めてテレビを見て驚いた世代では、楽しみ方が全然違う。戦後何もない時代から、今の様に最初から、何でもある時代では価値観にギャップがある。地域や世代等、相手の事が分からなくなっている。そういう中で”生活の中の楽しみ“とは何か、を研究してきたが、豊かにはなったけれど、どこに向かっているのか判らなくなったのが今だと思う。 企業からの発信ではなく、使い手や受け手の、発想を大事にしたいと思って調査・研究をやってきた。世の中の次の時代を感じる波頭を敏感に感じ取り、其処に向かって動くかだけでなく、こうありたい社会を目指していきたいと思う。また、今本当に自分たちが困っていること、わからないことを知りたいと思ってやってきました。 1.豊かな時代の新しい世代の台頭 世代間ギャップ⇒自分の子供たちと全然発想が違う。それが世代間ギャップと言うもので、理解したいと思い、調査した。 企業でも部下が20歳位年下では、全然違う。それを乗り越えないと、一緒に仕事を楽しくやる事が出来ないと感じた。上の人が押し付けて旨くいく事ではない。お互いを知るために何が必要かを考え調べた。もちろん世代間ギャップは、オールマイティと云う物ではなく、育った地域・環境によって違うし全員が同じという事はない。しかし、かなりのことは説明できる。 世代の違い、性(男女)のギャップは大きい、ギャップを乗り越える時に、海図の様なものを持つことは、大事ではないかと思う。 何故かと言うと、全体を見渡した時,自分の位置だけではなく、相手の位置も判る。それを眺めていると、どの方向に流れているのかが判ると思う。大事なのは、自分の位置と、関係性を見ながら、相手を理解する事。自分はこう思う。相手は屹度こう思っているから、こう反応するだろうと、少し考えて、次のステップを踏むと案外旨く行くし、色んな違いを超えて相手を理解することが出来る。 時代によって、生活環境は大きく違う。同じ環境を共有した事によって、ある時代の人達は、同じような価値観を実は持っている。その部分を調べていくことで、色んなことが理解できた。 例えば、貧しく、不便な社会で生きてきたことで、自分なりの工夫をしたり、人との貸し借りも自然にできた。しかし、豊かで、便利になると、人がしてくれて当たり前になる。それは本人の気質の問題だけでなく、育った環境によるところが大きい。 1世代の気分 価値観が変わった (全体が見える・自分の位置が見える・変化の方向が判る)
・”社会の中の自分”と云う意識は後退し、”自分の中の社会”が拡大。 ・物指は一つでは無い。仕事も家庭も”私”も大事。 ・選択肢のない貧しさと自信、選択肢のある、豊かさと不安。 2.家族に関する問題 @親子調査から見えたこと(家族に関する、国際調査を行った結果) 先進国では、子育てのテーマは”子供の自立”を主眼に置いている。日本の家庭でも、当然子供の自立を願っているが、親の質問や問いかけに、子供がイエスと答える事を望んで居る、調べた国ではノーと答える事を望んで居た⇒自分とは違う価値観を持つ事が、親から独立していく事だからと考えている。その為に、小さい時から、子供の意見を聞く。例えば日本の場合は、子供の受験とか、就職の時でも、親があれこれ口を挟む事が多い。良かれと思ってやっているが、子供は親の敷いてくれたレールに乗っている方が失敗もなく、楽だと思うようになる。子供を自立させるには、大人が成熟しないと駄目だと思う。 ※スウェーデンでは、自分の考えで行動すれば、失敗した時でも自分の責任で立ち直れる。自分で考えた事だから自分で責任を取ることになると言われた。 日本では、親に言われて其の儘やった結果、挫折した時に立ち上がれない事がある。子供は自分の意見を持つことで、責任感を持って、ちゃんと、生きていける様になる。(但し親は相談に乗る)―子供と親の意見が違う時が有る。その時、強制するのではなく、互いの考えを主張することで、子供に社会という物を教えることが出来る。親の方が社会に出ている分、社会の価値観を背負っている。其処で初めて「社会とはこんな物だよ、それを敢えて遣るのだね」と言えるのは親だ。そういう事を知らすチャンスを、親が良かれと思う事を先に言って仕舞うと失ってしまう。そういう社会に触れ、知識を得るチャンスがなく、子供が社会で生きていく事になる。そういう意味で真剣に議論する事が大事。自己責任と言うことは、子供が自立する上では、大事な事だと考える。(親は覚悟が必要) A家族に関する国際調査から見えたこと 日本では、離婚の場合、子供に会えないとか、夫が子供の養育費を払わないとか、よく問題になる。 ※スウェーデンの場合、子供に不利益が生じないように、国が養育費を立て替え、国が父親に請求するので、養育費を貰えない、ということはない。又、子供は、親が離婚しても週末には、一緒に暮らしていない親と会うのが当たり前だ。それは夫婦を止めても、親子は親子である。相手を親として否定することは子供の半分を否定することになると、感情的にならず、判断しているためである。 ※アメリカの場合、子供が居ても、よく養子を貰う。何故と聞くと、子供を育てる事は人生を豊かにする。苦労して沢山育てる事は、自分を育てる事だと言う認識があるからだ。子供を育てることを負担に考える人が多いことが結果的に日本の少子化につながっていると思う。 父親の役割はと聞くと、スウェーデンの場合、スポーツに子供を連れていくのは父親の役割で、地域のクラブチームの世話をなどをしている人も多いそうだ。イギリスやフランスでは家の改造などが父親の役割で、子供は家族のために頑張っている父親を身近に感じていた。日本の様に、お金を稼いでくるのが父親の役割というだけではなく、子供から父親の姿が身近に感じられる様な、親子関係が必要ではないかと思った。 会話に付いては、日本の夫婦は会話をしない事で、成り立っている所があるが、会話はお互いを知り、理解する為の基本という認識が当たり前である。 3.若い世代と情報 @若者の情報行動 今までの若者は、大人皆からよく見えていた。昔は新聞とか雑誌やテレビとかどっちかと言えば、親の世代の方が沢山情報を持っていた。今は子供の方が情報ツールを沢山持っている時代である。 ケータイの中から色んな情報を得て、個人的な色んなコミュニティに繋がっている。親世代から見えない色々な情報を得ているし、交友関係を持っている。数が全然違う。私達の頃、友達はある程度固定しており、友達と旅行をし、遊ぶのも、勉強するのも同じような仲間だった。今は沢山のグループを持ち、使い分けている。私達ももちろん、そうなりつつある。ボランティアのグループとか、家の近くの友達のグループとか段々数が増えて来ている。昔は血縁関係とか範囲の狭い所で生きて来た。 最近の大学生は色んなグループに属して居るから、卒業旅行には、何回も行くし、ケータイで遣り取りしかしてない人とも、忘年会・新年会をするので何回も行くことになる。いつも直接会っていなくても、時々はアナログ的と云うか直接会って関係性を確認する。しかし、沢山の関係する仲間がいると、それぞれの関係で、自分のキャラクターを使い分けるようなことも起こってくる。 引っ越しばかりしてきた人に「そんなに引っ越して、友達作るの、大変でしょう」と云うと「いや、前の失敗が消えて良かった。今度はこういう人格でいこう」とやってきたことを説明してくれた。しかし、実際、収拾が付かない様な所が有り、交友関係は出来たけど色んな顔を持って居ることで、自分自身も混乱するし、本当に親身になってくれる友達は居ない、ということも起こってくる。友達の数は多いが、結局、最後は中学の友達の所へ戻っており、地元志向が強い結果になったりする。子供の時に何も考えずに、裸の付き合いをした友達が一番ということなのだろう。 Aワークスタイル 仕事はだれにとっても社会につながる大切なものだと思うが、ニートやフリーターという言葉に表れているように、若い世代では働くということが自明のことでは無くなっている。遣りたい事が見つからない、好きな事を仕事にとか、言っているが、それが何を意味して、どうすれば仕事に、結びつくのか、彼らは働きたくないのではなく、単に働いて、お金を貰う、では無く、仕事が自分の中で、もっと大きな位置を占めているのではと感じた。調べてみると、一番不満を抱えていて、元気がないのが、サラリーマンになった人たちで、決まった事をヤラされる、思った通り行かないとか文句が多い。大学迄は好きな事をして居たが、会社に入ると全然モチベーションが上がらないという現実があった。いまどきの若い普通のサラリーマンは偉くなりたいと思わず、むしろ管理職というより、職場の職人的存在になった方が存在感があると思っている。たしかに、この人に聞けば判る・頼めば遣って呉れるという、信頼感が有る。社内職人と云う言葉がよく出てきた。それは所謂スペシャリストではなく、総務の職人とか経理の職人になりたいとか、その様な意味である。 作家の村上龍氏に「13歳のハローワーク」という本がある。その本の主張は好きな事を仕事にするのが、これからの生き方だと、いうことだが、実際13歳では、好きな事は判らないと思う。私の場合も、大学を出て、働きだしてからようやく会社での仕事が「向いているかも」と思った。働き始める前は、会社に2〜3年居て、主婦に、と当時の女性の普通の生き方をイメージしていた。しかし、結局仕事が好きで、定年まで働いた。好きな仕事といっても多くの人はやっているうちに好きになるものだと思う。13歳で「好きな仕事」と言われて、今は特にキャリヤ教育が盛んで、好きな事探しを、ずっと若い頃から、させられているが、見つからない。そんな状況ではないだろうか。息子が高校を決める時、言っていた。外国語系とか、芸術系とか、決められる人が、羨ましい。大半は、何を目指すか、判らない。取りあえず、普通科に、大学も何かよく判らないので、文学部とか経営学部に行く。大学の卒業の時もわからないので、ひたすら就職活動をする。それが当たり前のことだから、別に悩まなくてよいことかもしれないのに、13歳のハローワークの呪縛が有って悩む。早くから自分の好きな道を決めて、其れに邁進するのは良い事だが、それが圧力のなることもある。選択肢の幅を狭める場合もあり、結局、無い物ねだりで、自分の選択にも自信が持てない場合も生じる。 大きな会社に勤める人も、フリーターになるかもしれないと、普通に考えている。仕事をしていても、成長実感は簡単に得られるものではないが、若い人達は働いたらすぐ成長実感を持てると思っており、其処で裏切られてしまう。「石の上にも3年」と云う諺が有るが、一つの会社に3年居れば、良いと思っていて、3年勤めて、もうこの会社で学ぶことはないと、辞めてしまう人が結構いる。未だホンの入口だ。3年では決まった事を遣っているのに過ぎず、クリエイティブなことをするのはそれからだと思うが、仕事を簡単に考えているところがある。 最初から自分が本当に行きたいと思う会社ではなく、自分のブランド力を付ける為に、新卒の時は知名度のある会社に行かないと、まずい、というような意識もある。もちろん元気のない人ばかりではない。元気に頑張ってやっている人たちもいる。そういう人たちを集めて分析してみると、上司の事も会社の事も、非常にクールに分析している。上司の事も、全面的に服従ではなく、ここは良いが、あそこはおかしいとか、自分に良い成績を付けてくれても、むしろ上司の評価能力を疑う位に冷静に見ている。また、そういう人たちは独立心が強いのも特徴の一つだ。親に頼って楽が出来れば良い、と思っている人に成長はない。親が意識して、精神的に子供の、保護を切り離さないと、ぬるま湯に浸かった状態では、多くの場合其処から抜け出られない。子供の自立に向けて親にも出来る事があると思った。結局その甘えが仕事にも出てしまい、自分を追い込まない結果になる。 文句を言う人は大体失敗を人のせいにするが、此処をどうやって、自分の問題にするかが大事である。親元を離れて自分で、ハッキリした目的を持って、仕事をしている人達は、頑張ってやっている。今の若い人に能力がないわけではない。むしろ能力を発揮させる場を、どう作って行くかだ。若者は全能感から、脱却しないと駄目なので、そういう状況を親世代がどうしてつくることが出来るかである。そうでないと、何かあっても会社が悪い、自分はやれば出来るという状態に止まり、進歩がない。自分はやれば出来る⇒本当に出来ないと認めた時から、本当の力が出てくる。そのためには、大人が辛抱することが大事。 子供は能力を持っている。問題は大人が若い人を信頼して、少々のことは目を瞑ることができるか、どうかだ。大人の側の我慢が足らないことも多いのではないだろうか。 例えば仕事を頼む時も細かい指示より、むしろ目的を明確にして、自分で考えさせることが大事になる。また、今の若い人達は、お金儲けとか、一企業の為だけではなく、もっと大きな社会の役に立ちたいと、思っている。一方、企業の場合、会社の利益が、目的になっていて、自分の役割や世の中のために、という気持ちが見えなくなり、失望するというケースもある。上の人達から見れば、そんなこと毎回言わなくても、わかって欲しい、というところがあるかもしれないが、言わなければわからない、と思った方が良いと思う。それと出る釘は打たれると思っている。会社は甘くない、と折角の意見を押さえつけて仕舞うと、若い人達は元気が出ない。若い人達に元気で働いて貰おうと思うと、若い人の意見を生かしつつ、結果を出す方策を考える必要がある。上からの押し付けではなく、コミュニケーションが必要。飲み会や運動会など、普段と違う場所も必要である。デジタル世代だから、仕事の関係だけで良いということにはならない。 インディーズワーカー調査(一人親方:職人とか、芸術家とか、組織に属さない人達):若者が、夢を実現する為に、どういうハードルを越えて行こうとして居るのかと言う事を調べた。自由業で食べていくのは大変だが、好きなことをしている場合はモチベーションが有るし、リアルな手応えが有るので、前向きな姿勢が顕著であった。会社はそんなにリアルではない。自己責任と言う自覚が有る。自分の将来は自分でデザインすることが可能なので、よく考えている。でも30歳の壁が有って、これを乗り越えないと自己実現には繋がらない大変さもある。若い人達が、仕事を人生のプラスにするには、好きな事だけでなく、遣るべき事にも対決し、どうやって少しずつ困難を克服して、経験を積んでいくのかが大事になる。 それから自分が決めたことに対して、誰かの所為にするのではなく、自分の責任でやっていってもらうかも大事である。その頑張りが出来るように、大人はあまり手を出さずに、見守っていきたい。今の若者たちの一つの欠点と言うのは、社会は変わらない、良くならないと思っている点だ。でも実際、社会は変わる。自分が生まれてきた時から下降線をたどっている形なので、良くなる、良く出来るという実感がない。だから頑張れない。変わると思えば、もっと一緒になって、頑張れると思う。互いが影響しあって、良い方向に変われればと思う。 4.共に生きる知恵 地域の事例から 「つながりのコミュニティ」どうすれば実現するのか 出来る事を持ち寄って、社会を作って行く。当たり前の事だけれど、都会では難しくなってきたことを今こそ、やるべきではないかと思っている。今迄は、行政がやってくれる、企業がやるべきとか人に頼っていた。今はそんなことでは動かない。お互いの持っている力を発揮して納得出来れば、とても面白い事が出来るし、力も大きい。それは単にボランタィア的な事ばかりでなく、うまくすれば事業にも成る。 ※富山の、“この指とまれ”は、富山形デイサービスと言われているもので、町の小さな民家の様な所に、高齢介護と、障害者福祉と乳幼児預かりの三つを組みあわせた、デイケアサービスを始めた。これは簡単な様で、各々の制度が違う為、縦割り行政の間で、各窓口も別々、実は非常に面倒で時間がかかっている。例えば高齢介護では病院で病気を治療し、治ると退院だが、家には帰れず、老人ホームに入ることになる。実は高齢者は家に帰りたい。しかし家族で看取ることは難しく、結局、最後は病院やホームで、亡くなり、望んでいた家には帰れない。一方家に帰ると家族が大変なので、お年寄りの思いだけでは済まない現実がある。しかし、昼間、預かってもらえるところがあれば、随分負担は軽減される。そんな思いをもった看護師さん三人が、自己資金で始めたものだ。この施設の素晴らしいところは、皆が誰かの、役に立てるという事を実感できることだ。例えば寝たきりの年寄りの所へ、赤ちゃんはハイハイしていく。お年寄りは動けなくても、赤ちゃんが居て、顔を見て、にっこりして、お互い誰かの役に立てる。障害者も、難しい事は出来なくても、赤ちゃんの世話とか、年寄の介護とか、何かしら役に立っている。昔の日本では、当たり前の光景だったように思う。そうやって家族が暮らし、互いを支えて来た。其れが少し形を変え、少し負担を軽くし、社会の仕組みとしてあったらどんなに良いだろうか。 結局は有りそうで無かった制度を作ったのだ。現在は、この仕組みを勉強しようと、若い人達も働き、起業する人も増えている。行政の壁を三人の頑張りが超えたのだ。問題提起を気長に、真剣にする人が居ないと、動かないと思うが、志が高ければ、決して不可能ではないことを実証しているのである。 ※eラーニングと言って、インターネットを介して、勉強をすると云うシステムがある。企業や教育分野でも色んな所で使っている。ITを使って双方向というのが売りだが、実際は機械が答えてくれるだけで、一方向ではないか、と担当者が感じ、それを形にしたのが、富山インターネット市民塾だ。折角ITを使うのなら2ウェイになる仕組みが有るのではないかと。インターネットだったら日本中何処でも使えるが、富山なら富山だけと地域限定で、各地で地域限定の市民塾が同じような仕組みで開校している。教えるのは誰でも可能で、登山の事、お茶・英会話、紅茶インストラクターと、誰でも、自分の得意な分野の講師をすることが出来る。授業料は自分が決め、普段はインターネットで教える。今回は教えられる側だけど、次は教える側にまわることも可能だ。これのよい所は教える側が教える為の勉強をし、自然とレベルアップするところにある。又、どんなテーマがいいか、どんな講座にすれば、受講者が 来てくれるか等、頭を使い、工夫する。スクーリングと言って、受講生と講師が会う機会も用意されているので、友達も増える。いつもは自宅で受講可能なので、生涯学習になかなか参加できない若い世代の参加も多い。 ※十日市、越後妻有と言う、新潟県の過疎地帯に、現代アートで地域が活性化している事例がある。田んぼや廃校がそのまま現代アートの舞台となっている。美術館ではなく、自分達の田んぼや公民館が美術館になる。都会から来たアーティストが作品を作るわけだが、田舎とアート、一番と言って良いくらいの距離がある。最初は抵抗もあった。しかし、都会からアーティストが来て、其の応援をする学生が来て、その中で、真面目に取り組む姿勢に打たれ、色んなディスカッションが有り、結果的には、琵琶湖位の広い土地に、沢山の作品が作られ、何十万もの人が都会から来る様になった。 最近では瀬戸内国際芸術祭とか、地域での芸術祭が盛んに成って来たが、それらの最初の取り掛りが、この越後妻有のアートトリエンナーレである。不思議なアート作品を通して、土地に触れる事が出来、目的以外の感動を得られる。減反政策で、希望を失った土地の人達に元気になってもらいたい、という思いで始まった。こんな素晴らしい企画は、地域の人達だけでなく、都会から来た人にとって、土の匂いの中で地域の人に癒され、ボランティアの若者も沢山入り、お互いの存在が、非常に楽しいものになっている。 ※天満天神繁昌亭の、特徴は、企業が寄付を出すと言うのを断り、一人1万円の寄付を募り提灯にしたところに象徴される。大阪人は企業や行政がしても褒めない。でも自分の知り合いが寄付を出したら行く。自分達でやることの意味は大きい。大事なのは結果ではなく、参加のプロセスである。参加し易く、成果の見えやすい仕組みがあれば、その気になる人は多い。劇場が成功したことで、話題になり、落語ファンを増やした功績は大きい。 ※次も大阪で,障害者の、アート作品のアトリエとして活動しているところで、障害者の就労支援施設として活動している「アトリエ・インカーブ」である。芸術性の高い障がいのある人達のサポートをしていこうという取組だ。健常者と同じように障がい者の中にもアーティストとして能力を持って居る人がいる。教育は受けていないが、心から生まれる天性の物は大変力強く、魅力的だ。芸術的な力持っている人が素晴らしい作品を作り出す。しかし、障がい故にマネジメントをして、自分の絵で生計を立てることが出来ない。そう云う人と作品に注目し、それをアート市場に出して行こうと頑張っている人がいる。その結果、障がい者として今迄税金でを支援を受けていた人達が、アーティストとして、納税者になる。ある人の作品は畳1枚程の作品で、数年前に2百万円が、現在4百万円もしている。其の位、実は市場は有る。アメリカではすでにアートフェアという即売会もすでに存在している。 しかし、これは単なる商売として始められたものではない。大阪のアトリエ・インカーブの今中さんは自身が障がい者で、デザイン会社に勤めていたが、症状悪化で、休職し、その時、自分の持っている芸術的才能より、もっと才能の有る人が居るのではと気付いたという。其処で、そういう人に、仕事として絵を描いて貰って商品にし、マネジメントを担当するという仕組みを作り、今も試行錯誤を繰り返している。今も国にも働きかけ、もっと多くの障がいのある人達がアーティストとして生計を立てられないかを模索している。 自分では思い切ったことはなかなか出来なくても、志の高い人を応援することは可能だ。一人ではできなくても、集まればできる。それが出来る事を持ち寄る、ということなのだ。 5.穏やかで、明るく、面白く、共に生きる為に 信用から信頼へ、「成熟するほど、人は若くなる」 年齢が上がり、色々経験して、世の中を大きな所から見ることが出来れば、素晴らしいと思う。年齢を経るほど、自由になり、気持ちは若くなるのではないか。もっと新しい事が出来るのではないか。死ぬまで、そんな気持ちでいたいと思う。若者は未熟だけど、変化している。若者は若者の、子供は子供の成熟が有るように、少しずつ違いは有るが、成長している。その成長を応援していきたい。 信頼し待つ。(信用は返す物が有るが、信頼は分からない未知数である) 未知数の物を信じないと、次の面白い物が出て来ない。これからは大人のお節介がとても大事と思う。お節介の範囲で手を差し伸べて見たらどうか。若しも裏切られても、自分の判断が、甘かったという程度の、お節介で、人は何かの役に立つ事が有る。 守りに入るのではなく、一歩踏み出すことで、大人自身が変化・成長する。何歳になっても、成長を実感することはある、と信じて、生きていければと思う。 |
平成26年1月 講演の舞台活花
活花は季節に合わせて舞台を飾っています。
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