平成19年度
熟年大学
第十回
一般教養科目公開講座
於:SAYAKA小ホール
平成20年3月19日
21世紀型のまちづくりのこれまで・これから
~参画と協働のまちづくりとは何か~
帝塚山大学大学院法政策研究科
教授
中川 幾郎 氏
講演要旨 市町村合併の大波を受けて、いま日本の市町村は急激に変化してきている。それは外部環境や財政事情が大きく変動する中で、それらの変化に立ち向かい、自治体として自立していこうとする、市民、行政、議会を通した改革の動きとして現れてきている。「市民参画」「市民と行政の協働」が唱えられるのも、その改革の流れの上にある・・・・ |
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1.はじめに ●2007年問題がもたらす社会変化はすでに起こっている 民族学の大家である柳田邦男先生は、地域社会の力のもとにもたらされる教育を「平凡教育」といって、大変意味のある教育であると言っている。 過酷な競争の中で、階層を昇っていくことが立身出世で成功なのだという組織社会の中に浸りきった人達が、横社会である平凡教育が必要な地域社会で生きていくときにズレを起こしている。それが2007年問題(団塊世代の大量退職)の本質である。 ●二つの地域社会 ひたすら組織社会の文化の中でで生きてきた(主として男性)は、地域つまりコミュニティ(共同体)社会の文化になかなか軟着陸できないでいるが、地域社会には二通りの地域社会がある。一つがコミュニティ系の団体であり、もう一つがアソシエーション系の団体である。 コミュニティ系の地域社会の原始的な形は家族であり、近隣、地縁社会と広がって地縁共同体という。それに対してアソシエーション系の社会は、会社もそうだし、趣味の仲間、同好会、NPOといわれる民間の非営利団体もその殆んどが含まれる。 この二つは全く性格が異なる団体であるのに、呼ぶときには「市民団体」「地域団体」と言うので間違うことになる。 ●コミュニティ系団体、自治会、町内会の地殻変動 地域共同体型の団体の代表が自治会・町内会であるが、いま非常に困った状態にある。お世話する人が超高齢化し、また一部にはボス支配が見られ人々を遠ざける原因にもなっている。主な活動は、役所からくる回覧板の下請け流し、お葬式、年数回のレクリエーションだけになってしまっている。これでいいのだろうか。本当の地域コミュニティとは、年齢・性別・障がいの有無・国籍の違いを超えて、いつでも・どこでも・だれもが、お互いに助け合い、許しあい、慈しみ合って、なんでも解決していこうということではないだろうか。 ●アソシエーション系団体、NPO型市民組織の課題 一方、多数輩出しているNPOにも課題が多い。社会的支持の薄さ、脆弱な財政基盤、経営能力の未熟さ、離合集散の多さ、他の分野と手をつなぎにくい総合性のなさ、などである。 ●コミュニティ型組織とアソシエーション型組織との融合・衝突 二つの組織の特徴をあげると、 ・コミュニティ型組織・・・共和主義的、集団主義的、安全・治安、非合理な意思決定、地域共同感情、24時間全日的、総合的 ・アソシエーション型組織・・・自由主義的、個人主義的、幸福追求、合理主義、共同課題、定時的、専門的 ということができよう。 この二つの市民組織がどう出会うか? が課題だが、いま、とくに西日本で、総合型住民自治協議会といった組織が、徐々に動き始めている。 2.改めて「市民」「社会」を考える これからの自治体を考えるときに、大変苦しい財政状況といわざるを得ない。大阪狭山市も例外ではない。これが劇的にV字型回復を遂げるとは思えない。どう考えても市民の協力が必要である。そのためには市民社会をもっと強くしなければならない。市民はこれまで通りで、行政だけ直せではいけない。まず市民も変わるぞ、その代わり行政も変わってや、共に努力しようじゃないか、そうすれば政治も変わる。変わる順番は、市民⇒行政⇒政治の順で、政治⇒行政⇒市民の順ではない。 では、市民がどのように地域社会を建て直し、行政に対する経営者・評価者として太刀打ちしていくか、或いは行政職員とも手を結べる(協働できる)、行政の経営にも参加できる、NPOにも参加できる能力を持っていくのか、という観点から、3類型の市民を反省的にみていきたい。 ●「市民」とは何か? ・シティホテル滞在型住民(寝民)・・・このまちにず~っと住み続けようと思っていない住民。市長の名前も知らなきゃ市会議員の選挙にも行かない。 ・コンビニ利用型住民(居留民)・・・このまちに来て10年、20年。来た当時なにもなかったまちに、住民が行政に要求して作ってきた原体験を持つ住民。すぐ大きな声で怒り批判するのが好きなタイプ。協力する・盛り上げる・創るのが苦手で、要求レベルが高い住民が案外多い。怒り・不信・憎悪では団結できないし、夢・愛情・労わり・優しさ・包容力に至らないと永続きしない。 ・経営参画型市民(市民)・・・コミュニティ型市民。そこから逃げない・逃げようとしない・このまちが好きで住み続けようと思っている人。人間・時間・空間という3つの間(マ)への愛がなければ、市民は強くなれない――というのは、名古屋大学名誉教授である延藤安弘先生の名言である。こういった市民になろうではありませんか、というのが私からのメッセージだ。 ●「社会」とは何か? ドイツの哲学者である ハンナ・アーレントは、「現代人は人間性を完全に回復していない。人間性を回復するには、Labor Work Action の3つの仕事をしなければいけない――」と言っている。 Labor=労働せよ、Work=働け=働くとは「ハタをラクにすること、自分以外の誰かに貢献すること、Action=参画せよ=社会的な運営に参画することだと私は思っている。 それは、稼ぐ=納税の責務、働く=社会貢献の責務、参画する=社会維持・変革の責務といわれる「市民」の古典的三原則にも繋がる。 3.生涯学習には二つある 生涯学習は二つの学習に分かれる。 ●自己決定能力の確立 その一つは自己決定能力の確立である。自立能力と言ってもいい。自立のための学習を供給していくのが生涯学習である。プラス、それぞれの人が持っている芸術的能力・自己表現能力の多様性を花開かしてあげるための、趣味・教養に関する学習もその中に、レパートリーとして豊富に用意しておきましょうというものだ。楽しみも、生きる能力も拓いていきましょうということ、これを個人の自己決定能力の支援という。しかし、これだけで終わってはいけない。 ●集団的自己決定能力の確立 その次に、集団的自己決定能力の確立というのが、生涯学習の第2の目標として生まれてくる。ここでいう集団的とは、家族の生活をよくしていくとか、近隣社会をもっともっとよくしていくとか、市民社会の課題を解決していく能力を高めていくといったことである。だから、話し合う能力、問題を発見する能力、課題をえぐり出す能力、解決するためのプログラムを見つけていく能力などを、生涯学習では学ばなければならない。自分さえよければいいというものではない。 ここのところが生涯学習の2本柱なのに、文部科学省の所管する生涯学習関連法には、生涯学習とは何か という基本定義がない。それに趣味・教養・余暇・娯楽の片一方に走ってしまっているために、生活自立・社会的貢献・社会参加・社会変革に繋がっていく、世の中のために貢献する人材をつくるという点を見落としがちである。 自分さえよければよいでは、生涯教育はダメ。そこで手に入れた力とか、目覚めた喜び、自分の能力が開発されたことを、もっと人に広げていかなくてはならない。自分さえよければではダメなのである。 ●生涯学習の5段階 もう一度言う。生涯学習は、自己決定能力の確立と、集団的自己決定能力の確立の二つに分けて5段階がある。 ・第1段階:自己発見・・・人は年齢と共に変わっていく、新しい発見もある ・第2段階:自己実現・・・自分がしたかったこと、喜びを感じるものへ能力を広げていく ・第3段階:自己変革・・・自分を変える、変えた自分は強くなる、豊かになる ・第4段階:社会参加・・・自分だけでなく、人も楽しませる ・第5段階:社会変革・・・人も援ける、力を尽くす このように生涯学習は幅の広いもので、最後は人の役に立つことが目標。これが参画と協働の力を作る。 4.まちづくりとは何か まずは、家族。家族との関係をキッチリすること。 二つめには、ご近所との関係をキッチリすること。そのコツは何かといえば、朝昼晩の挨拶。 東京のある高級住宅街での例もある。年に200件近い泥棒が入っていた街で、人に遇ったらだれにでも挨拶する運動をやった結果、泥棒の被害がゼロになったというケースもある。挨拶が通い合う街には泥棒は入れない。 挨拶する能力すら発揮できない街に、まちづくりの力なんかない。 子どもでもそうだ。地域の中で「この子は○○さんとこの下のお嬢ちゃん」というように、知っている関係を作っていくことによって、その子は地域の子になっていく。それが地域教育であり、冒頭に言った平凡教育である。そういう社会を創ろうと思ったら、挨拶をしまくるしかない。それすらできていないのに、ナニが・・・ということにならないだろうか。まちづくりとは、まずは安全なまちをつくることがスタートである。 5.市民社会に必要とされているさまざまな価値 最後にまちづくりに必要なことを5項目に纏めると、 1.安全・安心・・・防犯、防災、見守り、声掛け 2.便利・住みやすさ・・・高齢者、障がい者、外国人、子ども、女性に住みやすいか 3.社会性・・・一定密度のコミュニケーションが活発か、経済は動いているか 4.真善美・・・学習活動が盛んか、高度の倫理性が保たれているか、美しい環境か 5.アイデンティティ・・・わが町意識はあるか、他に誇る特徴を有しているか これを創っていく共通の約束、運動方針・行動方針で一番簡単なのが挨拶運動である。 ジョン・デューイ(1920年代)は言った。「いま、大工業社会を驀進中のアメリカにおいても、コミュニティ(居住区)単位の草の根民主主義が、面識社会づくりを媒介として成り立たない限り、アメリカの民主主義は砂上の楼閣である」・・・と。ここに、grass-roots democracy(草の根民主主義)ができた。草の根民主主義とは、土地に根ざして立っている人達によって成り立つ民主主義なのである。 皆さん、進め方がわかっていただけただろうか。簡単な話じゃないですか。 老いも若きも、男も女も、障がいがある者もない者も、内国人も外国人も、関係なく地域では生きていかねばならないのだから、将に人権ということを意識せねばならない。その相手の身になって考えるという想像力も必要だし、置き換える練習も必要。これが参画と協働のまちづくりには絶対に欠かせないことである。 行政の職員や役所のある機関と手を結んで仕事をすることも出てくる。地域を外れた他の団体と手を結ぶこともある。となると市民は役所の職員さんの気持ちになってみるという置き換えの練習が必要になる。もちろん役所の職員さんも市民の気持ちになってみる練習が必要になる。このようにお互いに立場の相互乗り入れをし、想像力を置き換えていく。これが出来ないと、参画と協働はできない。そしてまちづくりは、先ほどの安全から最後のアイデンティティに向かって目標を持って階層的に積み上げていく「人づくり・仕組みづくり・ものづくり」という3つの資源を拓いていき、活力ある形に生き返らせ開発し螺旋的につくっていく。 先ずは、余り大きくない小学校区単位以下のコミュニティ型のまちづくりを進めていく。その重要な人的資源として皆さんがおられると私は思うので、人づくりはかなり進んでいる。となれば次は仕組みづくり、そして最後に必要不可欠で最小限のものづくりへと進んでいかねばならない。 まちの活力は人口の活力ではない。一人当たりの人が持っているコミュニケーション、人間関係の本数が多いこと。大阪狭山の人口が多すぎないことはいいことだと思う。多くなると人間関係が疎くなる。顔と名前がわかる面識社会をつくること、人間関係の横の本数を増やすこと、これがこのまちの活力を高くすることだと申し上げて話を止めにしたい。 付:シニアの力を市民社会へ活かすための数カ条(当日のレジュメから) (1)自分が所属していた組織が世界の標準と思い込まないこと (2)組織社会での地位は、組織が他律的に与えたものであり、時代の流れ、偶然の巡り合わせと謙虚に意識すること (3)自分が持っている専門的知識を活かす場面があれば、喜んで提供すること (4)自分の行いによって人が悦ぶことを楽しむ体験を積むこと (5)すべての生き甲斐とは、自分の幸福へのイメージ、持っている力量のの発揮、そして他者からの評価があって成り立つものであること (6)最高の生涯学習とは、自己発見、自己実現、自己変革、社会参画、社会変革の実践に至る学びと変革のプロセスである (7)世代や価値観の違う人との出会いを忌避せずに、むしろ楽しむこと (8)否定形をなくし、肯定形で語る練習をしよう |